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史記 / 韓長孺列伝

其後安国法に坐して罪に抵る、獄吏田甲の辱を蒙る。安国曰、死灰独り復た然えざらんや。田甲曰、然えば即ち之に溺せん。居ること無何、梁の内史缺く、漢使者をして安国を拝して梁の内史と為さしむ、徒中より起こりて二千石と為る。田甲亡げ走る。安国曰、甲官に就かずんば、我而の宗を滅ぼさん。甲因りて肉袒して謝す。安国笑ひて曰、溺す可し。公等与に治むるに足らんや。卒に善く之を遇す。

新字:其後安国法に坐して罪に抵る、獄吏田甲の辱を蒙る。安国曰、死灰独り復た然えざらんや。田甲曰、然えば即ち之に溺せん。居ること無何、梁の内史欠く、漢使者をして安国を拝して梁の内史と為さしむ、徒中より起こりて二千石と為る。田甲亡げ走る。安国曰、甲官に就かずんば、我而の宗を滅ぼさん。甲因りて肉袒して謝す。安国笑ひて曰、溺す可し。公等与に治むるに足らんや。卒に善く之を遇す。

書き下し

其の後安国法に坐して罪に抵る、獄吏田甲の辱を蒙る。安国曰く、「死灰独り復た然えざらんや」と。田甲曰く、「然えば即ち之に溺せん」と。居ること無何、梁の内史缺く、漢使者をして安国を拝して梁の内史と為さしむ、徒中より起こりて二千石と為る。田甲亡げ走る。安国曰く、「甲官に就かずんば、我而の宗を滅ぼさん」と。甲因りて肉袒して謝す。安国笑ひて曰く、「溺す可し。公等与に治むるに足らんや」と。卒に善く之を遇す。

現代語訳

「一度は自分を辱めた相手でも、力を取り戻したときに報復せず、度量をもって許す」——「死灰復燃」の語源となった、韓安国の寛容を描いた一段です。韓安国が罪に問われて投獄されていたとき、獄吏の田甲が、落ちぶれた安国を侮辱しました。安国が「消えた灰(死灰)だって、また燃え上がることがあるだろう(今は落ちぶれても、また返り咲くかもしれない)」と言い返すと、田甲は「もし燃え上がったら、小便をかけて消してやるさ」と、あざ笑いました。ところが間もなく、梁の内史の職が空き、安国は囚人の身から一躍、その高位に抜擢されます。まさに「死灰」が再び燃え上がったのです。侮辱した田甲は、報復を恐れて逃げ出しました。安国は「田甲が出頭して職に就かなければ、お前の一族を皆殺しにするぞ」と呼び出します。震え上がった田甲が、上半身裸になって(肉袒)平謝りに謝ると、安国は笑って言いました。「さあ、小便をかけてみろ。お前たちのような相手を、いちいち咎め立てするまでもない(公等足與治乎)」と。そして田甲を、かえって手厚く遇したのです。ここに、度量についての教訓があります。第一に、一度は自分を辱めた相手でも、力を取り戻したときに報復に走らず、許す度量を持つこと。安国は、田甲を罰することもできたのに、あえて笑って許した。過去の恨みを晴らすことに力を使うのは、器の小さいことである。第二に、小さな相手や過去の侮辱を、いちいち咎め立てしない大きさ。「公等与に治むるに足らんや(お前たちを相手に、まともに争う値打ちもない)」——本当に器の大きい者は、些細な恨みを気に留めない。第三に、報復ではなく寛容によって、かえって人の心を得るということ。安国が田甲を厚遇したことは、その度量を天下に示した。組織や人間関係で、力を得たときに過去の恨みで報復しないこと、小さな侮辱を咎め立てしない大きさを持つこと、そして寛容によって人の心を得ること——韓安国の「死灰復燃」の逸話は、リーダーに求められる度量を教えます。

解説

あなたは、かつて自分を軽んじたり辱めたりした相手に対して、力を得たときに報復するのではなく、許す度量を持てていますか?過去の小さな恨みや侮辱を、いつまでも咎め立てせず、水に流す大きさを持てていますか?報復によってではなく、寛容によってこそ、かえって人の心を得られると理解していますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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