史記 / 扁鵲倉公列伝
扁鵲名聞天下。過邯鄲、聞貴婦人、即為帯下医、過雒陽、聞周人愛老人、即為耳目痹医、来入咸陽、聞秦人愛小兒、即為小兒医、随俗為変。秦太医令李醯自知伎不如扁鵲也、使人刺殺之。至今天下言脈者、由扁鵲也。
新字:扁鵲名聞天下。過邯鄲、聞貴婦人、即為帯下医、過雒陽、聞周人愛老人、即為耳目痹医、来入咸陽、聞秦人愛小児、即為小児医、随俗為変。秦太医令李醯自知伎不如扁鵲也、使人刺殺之。至今天下言脈者、由扁鵲也。
書き下し
扁鵲名天下に聞こゆ。邯鄲を過ぐるに、貴婦人を聞き、即ち帯下の医と為り、雒陽を過ぐるに、周人の老人を愛するを聞き、即ち耳目痹の医と為り、来たりて咸陽に入るに、秦人の小兒を愛するを聞き、即ち小兒の医と為る、俗に随ひて変を為す。秦の太医令李醯自ら伎の扁鵲に如かざるを知るや、人をして之を刺殺せしむ。今に至るまで天下の脈を言ふ者は、扁鵲に由るなり。
現代語訳
扁鵲の名は天下に知れ渡った。邯鄲を通ったときは、そこで貴婦人が大切にされていると聞いて、すぐに婦人科の医者となった。雒陽を通ったときは、周の人が老人を大切にすると聞いて、すぐに耳や目、麻痺の医者となった。咸陽に入ったときは、秦の人が子どもを大切にすると聞いて、すぐに小児科の医者となった。土地の習俗に応じて姿を変えたのである。秦の太医令・李醯は、自分の技が扁鵲に及ばないと知り、人を使って彼を刺し殺させた。今日に至るまで、天下で脈を語る者は、みな扁鵲に由来している。
解説
「その土地・その相手が最も必要とするものに合わせて、自らの提供の形を変える」——名医・扁鵲の柔軟さと、それゆえに嫉妬を招いた悲劇を描いた一段です。扁鵲の名は天下に轟いていました。彼は各地を巡るとき、その土地の人々が何を必要としているかを見極め、専門を変えました。邯鄲では貴婦人が重んじられていると聞けば婦人科の医となり、雒陽では老人が大切にされていると聞けば老人の耳目の病の医となり、咸陽(秦)では人々が子どもを可愛がると聞けば小児科の医となる——このように、土地の習俗に応じて、自らの提供の形を変えたのです(随俗為変)。人々が本当に求めているものに、柔軟に応えたわけです。しかし、その卓越した才能は、悲劇も招きました。秦の宮廷医の長・李醯は、自分の技量が扁鵲に及ばないことを自覚すると、嫉妬のあまり、人を使って扁鵲を暗殺させてしまったのです。それでも、今日に至るまで、脈診を語る者は皆、扁鵲を始祖と仰いでいます。ここに、二つの教訓があります。一つは、柔軟な適応について。優れた専門家やサービスは、自分のやり方に固執せず、その土地・その相手が最も必要とするものに合わせて、提供の形を変えるということ。「随俗為変」——扁鵲は、卓越した技術を持ちながら、それを画一的に押しつけず、相手のニーズに合わせて柔軟に応用した。この、確かな実力と柔軟な適応力の両立こそ、真に信頼される専門性である。もう一つは、傑出した才能が招く嫉妬について。優れた人材は、しばしば凡庸な者の妬みの標的になるということ。李醯は、扁鵲に及ばぬと知るや、自らを高めるのではなく、相手を排除する道を選んだ。組織において、卓越した人材を、嫉妬から潰してしまえば、その損失は組織全体に及ぶ。組織で、自分のやり方に固執せず相手のニーズに合わせて提供の形を変えること、確かな実力と柔軟な適応力を両立させること、そして優れた人材を嫉妬から守り活かすこと——扁鵲の柔軟さと悲劇は、適応力の価値と、才能を活かす組織の課題を教えます。
この章句が説くこと
扁鵲随俗為変相手のニーズに合わせる柔軟な適応実力と適応力の両立李醯の嫉妬
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史記 扁鵲倉公列伝其の後扁鵲虢に過ぐ。虢の太子死す。扁鵲虢の宮門の下に至り、中庶子の方を喜む者に問ひて曰く、「太子何の病ありて、国中の治穣衆事に過ぐるや」と。中庶子曰く、「太子の病は血気時ならず、交錯して泄るるを得ず、暴かに外に発し、則ち中の害と為る。精神邪気を止むる能はず、邪気畜積して泄るるを得ず。是を以て陽緩みて陰急なり。故に暴かに蹷して死す」と。扁鵲曰く、「其の死は何如なる時ぞ」と。曰く、「雞鳴より今に至る」と。曰く、「収めたるか」と。曰く、「未だし。其の死未だ半日なる能はざるなり」と。「言へ、臣は斉の勃海の秦越人なり、家は鄭に在り、未だ嘗て精光を望みて前に侍謁するを得ざるなり。太子不幸にして死すと聞く。臣能く之を生かさん」と。中庶子曰く、「先生之を誕ること無きを得んや。何を以て太子生くべしと言ふや。臣聞く、上古の時、医に兪跗有り。病を治するに湯液醴灑、鑱石撟引、案扤毒熨を以てせず、一たび撥して病の応を見、五蔵の輸に因りて、乃ち皮を割き肌を解き、脈を訣し筋を結び、髄脳を搦り、荒を揲し幕を爪し、腸胃を湔浣し、五蔵を漱滌し、精を練り形を易ふと。先生の方能く是の若くならば、則ち太子生くべきなり。是の若くなる能はずして之を生かさんと欲するは、曾ち以て咳嬰の児に告ぐべからず」と。終日、扁鵲天を仰ぎて嘆じて曰く、「夫子の方を為すや、管を以て天を窺ひ、郄を以て文を視るが若し。越人の方を為すや、脈を切り色を望み声を聴き形を写すを待たずして、病の在る所を言ふ。病の陽を聞きて、論じて其の陰を得、病の陰を聞きて、論じて其の陽を得。病の応は大表に見はる。千里を出でずして、決する者至って衆く、曲げて止むべからざるなり。子吾が言を以て誠ならずと為さば、試みに入りて太子を診よ。当に其の耳鳴りて鼻張るを聞くべし。其の両股を循りて以て陰に至らば、当に尚ほ温かなるべきなり」と。
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史記 扁鵲倉公列伝扁鵲は、勃海郡の鄭の人なり。姓は秦氏、名は越人。少き時人の舎長と為る。舎客長桑君過ぐ。扁鵲独り之を奇とし、常に謹みて之を遇す。長桑君も亦扁鵲の常人に非ざるを知る。出入すること十余年、乃ち扁鵲を呼びて私坐し、間に与に語りて曰く、「我に禁方有り。年老いたり。伝へて公に与へんと欲す。公泄らす毋れ」と。扁鵲曰く、「敬みて諾す」と。乃ち其の懐中の薬を出して扁鵲に予へ、「是を飲むに上池の水を以てせよ。三十日にして当に物を知るべし」と。乃ち悉く其の禁方の書を取りて尽く扁鵲に与ふ。忽然として見えず。殆ど人に非ざるなり。扁鵲其の言を以て薬を飲むこと三十日、垣の一方の人を視見す。此を以て病を視るに、尽く五蔵の癥結を見る。特に脈を診るを以て名と為すのみ。医を為すに或いは斉に在り、或いは趙に在り。趙に在る者は扁鵲と名づく。晋の昭公の時に当たり、諸大夫彊くして公族弱く、趙簡子大夫と為りて、国事を専らにす。簡子疾み、五日人を知らず。大夫皆懼る。是に於て扁鵲を召す。扁鵲入りて病を視、出づ。董安于扁鵲に問ふ。扁鵲曰く、「血脈治まれり。而るを何ぞ怪しまん。昔秦の穆公嘗て此の如く、七日にして寤む。寤むるの日、公孫支と子輿とに告げて曰く、『我帝の所に之きて甚だ楽しむ。吾の久しき所以は、適々学ぶ所有ればなり。帝我に告ぐ、「晋国且に大いに乱れんとし、五世安からず。其の後将に覇たらんとするも、未だ老いずして死す。覇者の子且に而の国をして男女別無からしめんとす」と』と。公孫支書して之を蔵す。秦策是に於て出づ。夫の献公の乱、文公の覇、而して襄公秦の師を殽に敗りて帰りて淫を縦にするは、此れ子の聞く所なり。今主君の病は之と同じ。三日を出でずして必ず間えん。間ゆれば必ず言有らん」と。居ること二日半、簡子寤め、諸大夫に語りて曰く、「我帝の所に之きて甚だ楽しむ。百神と鈞天に游び、広楽九奏萬舞あり。三代の楽に類せず、其の声心を動かす。
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新語・資質昔、扁鵲宋に居り、宋君に罪を得て、出でて衛に亡ぐ。衛人に病ありて将に死せんとする者有り、扁鵲其の家に至り、為に之を治せんと欲す。病者の父扁鵲に謂いて曰く、「子の病甚だ篤しと言い、将に為に良医を迎えて治せんとす。子の能く治する所に非ず」と。退けて用いず、乃ち霊巫をして福を求め命を請わしめ、扁鵲に対して咒す。病者卒に死し、霊巫も治する能わず。夫れ扁鵲は天下の良医なるに、霊巫と用いらるるを争う能わざるは、知ると知らざるとなり。故に事は遠きを求めて近きを失い、広く藏して狭く棄つと、斯の謂いなり。昔、宮之奇は虞公の為に計を画し、晋の献公の璧馬の賂を辞して、之に夏陽の道を仮さざらんと欲す。豈に金石の計に非ずや。然れども虞公聴かざるは、珍怪の宝に惑えばなり。鮑丘の徳行は、李斯・趙高より高からざるに非ざるなり。然れども蒿廬の下に伏隠して、世に録されざるは、利口の臣之を害すればなり。
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戦国策・秦二・醫扁鵲見秦武王醫扁鵲秦の武王に見ゆ。武王之に病を示し、扁鵲除かんことを請う。左右曰わく、「君の病は、耳の前、目の下に在り、之を除くも未だ必ずしも已えず、將に耳をして聰ならず、目をして明らかならざらしめんとす。」君以て扁鵲に告ぐ。扁鵲怒りて其の石を投げて曰わく、「君知る者と之を謀りて、知らざる者と之を敗る。此をして秦國の政を知らしめば、則ち君一舉にして國を亡ぼさん。」
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史記 扁鵲倉公列伝時に未だ往かざるに、会々慶の子男殷来りて馬を献ず。師光に因りて馬を王の所に奏す。意故を以て殷と善きを得たり。光又意を殷に属して曰く、『意は数を好む。公必ず謹みて之を遇せよ。其の人は聖儒なり』と。即ち書を為りて意を以て陽慶に属す。故を以て慶を知る。臣意慶に事ふること謹む。故を以て意を愛するなり」と。臣意に問ひて曰く、「吏民嘗て事として意の方を学び、及び畢く尽く意の方を得たるもの有りや不や。何れの県里の人ぞ」と。対へて曰く、「臨菑の人宋邑。邑学ぶ。臣意教ふるに五診を以てすること、歳余。済北王太医高期・王禹を遣はして学ばしむ。臣意教ふるに経脈の高下及び奇絡の結、当に俞の居る所を論ずべきこと、及び気の当に上下出入すべき邪正逆順、以て鑱石に宜しきこと、砭灸の処を定むることを以てすること、歳余。菑川王時に太倉の馬長馮信を遣はして方を正さしむ。臣意教ふるに案法逆順、薬法を論じ、五味及び和斉湯法を定むることを以てす。高永侯の家丞杜信、脈を喜み、来り学ぶ。臣意教ふるに上下経脈五診を以てすること、二歳余。臨菑の召里の唐安来り学ぶ。臣意教ふるに五診上下経脈、奇咳、四時陰陽に応ずるの重を以てす。未だ成らずして、除せられて斉王の侍医と為る」と。臣意に問ふ、「病を診し死生を決するに、能く全く失無きか」と。臣意対へて曰く、「意病人を治するに、必ず先づ其の脈を切して、乃ち之を治す。敗逆なる者は治すべからず。其の順なる者は乃ち之を治す。心脈に精しからず、期する所の死生、治すべきを視るに、時時之を失す。臣意全くする能はざるなり」と。太史公曰く、女は美悪と無く、宮に居れば妒まる。士は賢不肖と無く、朝に入れば疑はる。故に扁鵲は其の伎を以て殃せられ、倉公乃ち跡を匿して自ら隠れて刑に当たる。緹縈尺牘を通じ、父以て後に寧きを得たり。故に老子曰く、「美好なる者は不祥の器なり」と。豈に扁鵲等を謂ふか。倉公の若き者は、之に近しと謂ふべし。手の三陽の脈は、手より頭に至るまで長さ五尺、五六合して三丈。
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史記 扁鵲倉公列伝中庶子扁鵲の言を聞き、目眩然として瞚かず、舌撟然として下らず。乃ち扁鵲の言を以て入りて虢君に報ず。虢君之を聞きて大いに驚き、出でて扁鵲に中闕に見えて曰く、「竊かに高義を聞くことの日久し。然れども未だ嘗て前に拝謁するを得ざるなり。先生小国に過ぎり、幸ひにして之を挙げば、偏国の寡臣幸甚なり。先生有れば則ち活き、先生無ければ則ち棄捐せられて溝壑を填め、長く終りて反るを得ず」と。言未だ卒へざるに、因りて嘘唏服臆し、魂精泄横し、流涕長潸し、忽忽として睫を承け、悲しみ自ら止む能はず、容貌変更す。扁鵲曰く、「太子の病の若きは、所謂『尸蹷』なる者なり。夫れ陽を以て陰中に入り、胃を動かして繵縁し、経維絡に中り、別れて三焦・膀胱に下る。是を以て陽脈下遂し、陰脈上争し、会気閉ぢて通ぜず。陰上りて陽内行し、下は内鼓して起たず、上は外絶して使と為らず。上に絶陽の絡有り、下に破陰の紐有り。陰を破り陽を絶ち、色已に廃し脈乱る。故に形静かにして死状の如し。太子未だ死せざるなり。夫れ陽を以て陰に入り蔵を支蘭する者は生き、陰を以て陽に入り蔵を支蘭する者は死す。凡そ此の数事は、皆五蔵蹙中の時に暴かに作るなり。良工は之を取り、拙者は疑殆す」と。扁鵲乃ち弟子子陽をして鍼を厲ぎ石を砥がしめ、以て外の三陽五会を取る。間有りて、太子蘇る。乃ち子豹をして五分の熨を為らしめ、八減の斉を以て和して之を煮、以て更々両脇の下を熨す。太子起ちて坐す。更に陰陽を適へ、但だ湯を服すること二旬にして故に復す。故に天下尽く扁鵲を以て能く死人を生かすと為す。扁鵲曰く、「越人は能く死人を生かすに非ざるなり。此れ自ら当に生くべき者なり。越人能く之をして起たしむるのみ」と。
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