史記 / 田叔列伝
後数歳、叔坐法失官。梁孝王使人殺故呉相袁盎、景帝召田叔案梁、具得其事、還報。景帝曰、梁有之乎。叔対曰、死罪、有之。上曰、其事安在。田叔曰、上毋以梁事為也。上曰、何也。曰、今梁王不伏誅、是漢法不行也、如其伏法、而太后食不甘味、臥不安席、此憂在陛下也。景帝大賢之、以為魯相。
書き下し
後数歳、叔法に坐して官を失ふ。梁孝王人をして故の呉相袁盎を殺さしむ、景帝田叔を召して梁を案ぜしむ、具に其の事を得、還りて報ず。景帝曰く、「梁之れ有るか」と。叔対へて曰く、「死罪、之れ有り」と。上曰く、「其の事安くに在る」と。田叔曰く、「上梁の事を以て為す毋かれ」と。上曰く、「何ぞや」と。曰く、「今梁王誅に伏せずんば、是れ漢法行はれざるなり、如し其れ法に伏せば、而して太后食味を甘しとせず、臥席に安んぜず、此の憂ひ陛下に在り」と。景帝大いに之を賢とし、以て魯相と為す。
現代語訳
数年後、田叔は法に触れて官職を失った。梁の孝王が人を使ってもとの呉の宰相・袁盎を殺させたとき、景帝は田叔を召して梁の一件を取り調べさせた。田叔はその事実をつぶさに掴み、帰って報告した。景帝は言った。「梁は本当にやったのか」。田叔は答えた。「恐れながら、そのとおりです」。帝は言った。「その証拠はどこにある」。田叔は言った。「陛下、梁のことは追及なさいますな」。帝は言った。「なぜか」。田叔は言った。「今、梁王が誅されなければ、漢の法が行われないことになります。しかしもし法に従って処断すれば、太后は食事もおいしくなく、床についても安らげません。その憂いは陛下にかかってまいります」。景帝は彼を大いに賢者と認め、魯の宰相とした。
解説
「原則と現実の板挟みの中で、大局を見据え、あえて事を荒立てない知恵を持つ」——皇帝の弟の罪を調べ上げながら、その処理をあえて止めた田叔の判断を描いた一段です。景帝の弟・梁孝王が、恨みから重臣の袁盎を暗殺させる事件が起きました。景帝は田叔に命じて梁を調査させます。田叔は事件の全容をつかんで帰還しました。帝が「梁王に本当に罪があったのか」と問うと、田叔は「死罪に値します、確かにございました」と、事実は隠さず報告します。ところが帝が「その証拠はどこにあるのか」と尋ねると、田叔は意外な進言をします。「陛下、どうか梁の件は、これ以上お取り上げになりませんように」と。理由を問われ、彼はこう説きました。「今、もし梁王を処刑しなければ、漢の法が行われないことになります。しかし逆に、もし梁王を法に従って処刑すれば、(弟を溺愛する)太后は食事も喉を通らず、夜も安らかに眠れなくなるでしょう。そうなれば、その憂いは、結局すべて陛下お一人に降りかかるのです」と。法を貫けば肉親の情が壊れ、母を悲しませて帝が苦しむ——その板挟みを見抜き、あえて証拠を伏せて事を収める道を示したのです。景帝は田叔の見識を高く評価し、彼を魯相に任じました。ここに、大局を見据えた判断についての教訓があります。第一に、原則(法)を貫くことと、現実(肉親の情、組織全体の平穏)との板挟みの中で、より大きな害を避ける知恵が要る場合があるということ。田叔は、法の建前だけを振りかざさず、それを貫いた先に生じる、より大きな不幸を見通した。第二に、事実は正確につかんだうえで(田叔は全容を得ていた)、その処理においては大局的な判断を下すこと。真実を知らないのと、知ったうえであえて収めるのは、まったく違う。第三に、当事者(帝)が背負うことになる本当の重荷を、先回りして見抜く配慮。組織で、原則と現実の板挟みでより大きな害を避ける知恵を持つこと、事実は正確に把握したうえで処理は大局で判断すること、そして関係者が最終的に背負う重荷を見通す配慮を持つこと——田叔の判断は、硬直しない大局観の知恵を教えます。ただし、これは不正の隠蔽を勧めるものではなく、あくまで組織全体の平穏という、より大きな善を見据えた例外的な判断として受け止めるべきものです。
この章句が説くこと
田叔梁の獄を収める原則と現実の板挟み大局を見据えるより大きな害を避ける硬直しない判断
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『智囊』迎刃・田叔梁の孝王、人をして故相の袁盎を刺殺せしむ。景帝、田叔を召して梁を案ぜしめ、具さに其の事を得て、乃ち悉く獄詞を焼き、空手にて還り報ず。上曰く、「梁に之有りや」と。対えて曰く、「之有り」と。「事は安くに在る」と。叔曰く、「之を焚けり」と。上怒る。叔は従容として進みて曰く、「上、梁の事を以て為すこと無かれ」と。上曰く、「何ぞや」と。曰く、「今、梁王が誅に伏せずんば、是れ漢法行われざるなり。如し其れ法に伏せば、太后は食らえども味わい甘からず、臥せども席に安んぜず、此の憂いは陛下に在り」と。是に於いて上は大いに之を賢とし、以て魯の相と為す。叔、魯の相と為るや、民は王が其の財物を取れりと訟うる者百余人。叔は其の渠率二十人を取り、各おの笞つこと二十、余は各おの搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は汝の主に非ずや。何ぞ敢えて言うや」と。魯王之を聞き、大いに慚じ、中府の銭を発し、相をして之を償わしむ。相復た曰く、「王、人をして自ら之を償わしめよ。爾らずんば、是れ王は悪を為して相は善を為すなり」と。又た王は猟を好み、相は常に従い、王は輒ち休むに、相は出でて館舎に就く。相は出づれば、常に暴坐して王を苑外に待つ。王は数ば人をして相に休めと請わしむるも、終に休まず、曰く、「我が王は暴露す、我れ独り何為れぞ舎に就かん」と。王は以て故に大いには出遊せず。
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