史記 / 万石張叔列伝
御史大夫張叔者、名歐、安丘侯説之庶子也。孝文時以治刑名言事太子。然歐雖治刑名家、其人長者。自歐為吏、未嘗言案人、専以誠長者処官。官属以為長者、亦不敢大欺。上具獄事、有可卻、卻之、不可者、不得已、為涕泣面対而封之。其愛人如此。太史公曰、仲尼有言曰、君子欲訥於言而敏於行、其萬石・建陵・張叔之謂邪。是以其教不粛而成、不厳而治。塞侯微巧、而周文処讇君子譏之、為其近於佞也。然斯可謂篤行君子矣。
新字:御史大夫張叔者、名欧、安丘侯説之庶子也。孝文時以治刑名言事太子。然欧雖治刑名家、其人長者。自欧為吏、未嘗言案人、専以誠長者処官。官属以為長者、亦不敢大欺。上具獄事、有可却、却之、不可者、不得已、為涕泣面対而封之。其愛人如此。太史公曰、仲尼有言曰、君子欲訥於言而敏於行、其万石・建陵・張叔之謂邪。是以其教不粛而成、不厳而治。塞侯微巧、而周文処讇君子譏之、為其近於佞也。然斯可謂篤行君子矣。
書き下し
御史大夫張叔は、名は歐、安丘侯説の庶子なり。孝文の時刑名を治むるを以て事を太子に言ふ。然れども歐刑名家を治むと雖も、其の人長者なり。歐吏と為りてより、未だ嘗て人を案ずるを言はず、専ら誠長者を以て官に処る。官属以て長者と為し、亦た敢て大いに欺かず。上獄事を具ふるに、卻く可き有れば、之を卻け、可からざる者は、已むを得ず、為に涕泣し面対して之を封ず。其の人を愛すること此くのごとし。太史公曰く、仲尼言へる有りて曰く、「君子は言に訥にして行に敏ならんと欲す」と、其れ萬石・建陵・張叔の謂か。是を以て其の教へ粛せずして成り、厳ならずして治まる。塞侯微巧なり、而して周文讇に処り君子之を譏る、其の佞に近きが為なり。然れども斯れ篤行の君子と謂ふ可し。
現代語訳
御史大夫の張叔は、名を歐といい、安丘侯・説の庶子である。孝文帝の時代、刑名の学を修めた縁で、太子に仕えて政務を論じた。しかし歐は刑名の学を修めていながら、その人柄は長者であった。歐は役人となって以来、一度も人を取り調べようとは言わず、ひたすら誠実な長者として官職にあった。部下も彼を長者と認め、あえてひどく欺こうとはしなかった。裁判の書類が上がってきて、差し戻せるものは差し戻し、どうにもならないものについては、やむを得ず、涙を流しながら本人と向き合って封をした。彼が人を思いやることは、これほどであった。太史公は言う。「孔子はこう言った。『君子は言葉は訥々として、行いは敏捷であろうとする』と。萬石君・建陵侯・張叔のことを言うのであろうか。だからこそ、その教えは厳しくせずとも成り、厳格でなくとも治まった。塞侯(直不疑)は細やかな配慮をした。周文(張叔)が迎合的な態度をとったことを君子が批判するのは、それが佞に近いからである。とはいえ、彼らは篤実な行いの君子と言ってよい」。