史記 / 酈生陸賈列伝
太史公曰、世之傳酈生書、多曰漢王已拔三秦、東擊項籍而引軍於鞏洛之閒、酈生被儒衣往說漢王、乃非也。自沛公未入關、與項羽別而至高陽、得酈生兄弟。余讀陸生新語書十二篇、固當世之辯士。至平原君子與余善、是以得具論之。
新字:太史公曰、世之伝酈生書、多曰漢王已抜三秦、東撃項籍而引軍於鞏洛之閒、酈生被儒衣往説漢王、乃非也。自沛公未入関、与項羽別而至高陽、得酈生兄弟。余読陸生新語書十二篇、固当世之弁士。至平原君子与余善、是以得具論之。
書き下し
太史公曰く、「世の酈生の書を伝ふる、多く漢王已に三秦を抜き、東のかた項籍を撃ちて軍を鞏洛の間に引くとき、酈生儒衣を被て往きて漢王に説くと曰ふは、乃ち非なり。沛公未だ関に入らざるより、項羽と別れて高陽に至り、酈生兄弟を得たり。余、陸生の新語の書十二篇を読むに、固より当世の弁士なり。平原君の子の余と善きに至りて、是を以て具に之を論ずるを得たり」と。
現代語訳
太史公は言う。「世に伝わる酈生の書には、多く、漢王がすでに三秦を攻め取り、東へ項籍を攻めて軍を鞏・洛の間に進めたときに、酈生が儒者の衣を着て漢王を説きに行った、とある。だがこれは誤りである。沛公がまだ関中に入る前、項羽と別れて高陽に来たときに、酈生兄弟を得たのである。私は陸生の『新語』十二篇を読んだが、まことに当代の弁士であった。平原君の子が私と親しかったので、それによってこれらをつぶさに論じることができたのである」。
解説
「世間に流布する誤った伝承を、一次情報と事実の考証によって正す」——歴史家・司馬遷の、記録に対する誠実な姿勢を示した結びの一段です。司馬遷は、酈食其(酈生)に関して、世間に広く伝わっている話には誤りがあると指摘します。「世間で伝わる酈生の逸話の多くは、『漢王がすでに三秦を平定し、東へ項羽を攻めて鞏・洛のあたりに軍を進めた時期に、酈生が儒者の服を着て漢王を説きに行った』としているが、これは間違いだ」と。そして、正しい事実を示します。「実際には、沛公(劉邦)がまだ関中に入る前、項羽と別れて高陽に至ったときに、酈生兄弟を得たのだ」と、出会いの時期を、事実に基づいて訂正するのです。さらに司馬遷は、自分の記録が確かな根拠に基づくことを示します。「私は、陸賈の著書『新語』十二篇を実際に読んだ。彼はまさに当代随一の弁士だった。また、(この篇に登場する)平原君(朱建)の子と親交があったので、その縁で、詳しく事情を論じることができたのだ」と。ここに、情報を扱う者の誠実さについての教訓があります。第一に、世間に広く流布している話・通説を、鵜呑みにせず、事実に照らして検証すること。司馬遷は、誰もが信じている酈生の逸話を、「それは間違いだ」と、事実の考証によって正した。多くの人が信じているからといって、それが正しいとは限らない。流布する話ほど、脚色や誤りが混入しやすい。第二に、一次情報・確かな根拠に基づくこと。司馬遷は、陸賈の著書を自ら読み、関係者(平原君の子)から直接話を聞いた。伝聞や通説ではなく、原典と当事者という一次情報に当たることで、記録の正確さを担保した。第三に、この誠実な考証の姿勢こそが、『史記』が二千年以上信頼され続けた理由だということ。派手さはなくとも、事実を丹念に確かめ、誤りを正す地道な作業が、記録の価値を決める。組織や仕事で、世間に流布する通説・噂を鵜呑みにせず事実に照らして検証すること、伝聞ではなく一次情報・確かな根拠に当たること、そしてその地道な誠実さが信頼の土台になること——司馬遷の考証の姿勢は、情報を扱うすべての人への、時代を超えた規範を示しています。
この章句が説くこと
太史公評通説を鵜呑みにしない事実の考証一次情報に当たる誤りを正す記録の正確さ
関連する章句
-
史記 仲尼弟子列伝太史公曰く、「学者多く七十子の徒を称するも、誉むる者は或いは其の実に過ぎ、毀る者は或いは其の真を損ふ。鈞しく之れ未だ厥の容貌を睹ざれば、則ち弟子の籍を論言するに、孔氏の古文に出づるもの是に近し。余、弟子の名姓文字を以て悉く論語の弟子の問ひを取り并せ次いで篇と為し、疑はしき者は闕けり」と。
-
史記 屈原賈生列伝太史公曰く、「余、離騒・天問・招魂・哀郢を読み、其の志を悲しむ。長沙に適き、屈原の自沈する所の淵を観て、未だ嘗て涕を垂れずんばあらず、其の為人を想見す。賈生の之を弔ふを見るに及びて、又屈原の彼の其の材を以て、諸侯に游ばば、何の国か容れざらん、而も自ら是くの若くならしむるを怪しむ。服烏の賦を読み、死生を同じくし去就を軽んずるに、又爽然として自失す」と。
-
史記 傅靳蒯成列伝太史公曰く、「陽陵侯傅寬・信武侯靳歙は、皆高爵にして、高祖に従ひて山東に起こり、項籍を攻め、名将を誅殺し、軍を破り城を降すこと十を以て数へ、未だ嘗て困辱せず、此れ亦た天授なり。蒯成侯周緤は心を操ること堅正、身疑はれず、上之く所有らんと欲すれば、未だ嘗て涕を垂れずんばあらず、此れ心を傷ましむる者然り、篤厚の君子と謂ふ可し」と。
-
史記 酈生陸賈列伝陸生時時前みて説くに詩書を称す。高帝之を罵りて曰く、「乃公(だいこう)は馬上に居りて之を得たり、安くんぞ詩書を事とせん」と。陸生曰く、「馬上に居りて之を得るも、寧んぞ馬上を以て之を治むべけんや。且つ湯武は逆取して順を以て之を守る。文武並び用ふるは、長久の術なり。昔者呉王夫差・智伯は武を極めて亡び、秦は刑法に任じて変ぜず、卒に趙氏を滅ぼす。郷(さき)に秦をして已に天下を并せ、仁義を行ひ、先聖に法らしめば、陛下安くんぞ得て之を有たんや」と。高帝懌ばずして慚づる色有り、乃ち陸生に謂ひて曰く、「試みに我が為に秦の天下を失ひし所以、吾の之を得し所以の者は何ぞ、及び古の成敗の国を著せ」と。陸生乃ち粗ぼ存亡の徴を述べ、凡そ十二篇を著す。一篇を奏する毎に、高帝未だ嘗て善しと称せずんばあらず、左右万歳を呼ぶ。其の書を号して「新語」と曰ふ。
-
史記 酈生陸賈列伝夫れ漢王は蜀漢を発して、三秦を定め、西河の外に渉りて、上党の兵を援け、井陘を下りて、成安君を誅し、北魏を破りて、三十二城を挙ぐ。此れ蚩尤の兵なり、人の力に非ざるなり、天の福なり。今已に敖倉の粟に拠り、成皋の険を塞ぎ、白馬の津を守り、大行の阪を杜ぎ、蜚狐の口を距ぐ。天下後れて服する者は先に亡びん。王疾く先に漢王に下らば、斉国の社稷得て保つべきなり。漢王に下らずんば、危亡立ちどころにして待つべきなり」と。田広以て然りと為し、乃ち酈生に聴き、歴下の兵の守戦の備へを罷め、酈生と日に酒を縦にす。淮陰侯、酈生の軾に伏して斉の七十余城を下すと聞き、乃ち夜兵を平原に度して斉を襲ふ。斉王田広、漢兵の至るを聞き、以て酈生己を売ると為し、乃ち曰く、「汝能く漢軍を止めば、我汝を活かさん。然らずんば、我将に汝を亨(に)んとす」と。酈生曰く、「大事を挙ぐる者は細謹せず、盛徳は辞譲せず。而公(だいこう)は若(なんぢ)の為に更に言はず」と。斉王遂に酈生を亨て、兵を引きて東に走る。漢の十二年、曲周侯酈商、丞相を以て兵を将ゐて黥布を撃ちて功有り。高祖列侯功臣を挙ぐるに、酈食其を思ふ。酈食其の子疥、数兵を将ゐるも、功未だ侯に当たらず。上其の父の故を以て、疥を封じて高梁侯と為す。後に更めて武遂に食み、嗣ぐこと三世。元狩元年中、武遂侯平、詔を詐りて衡山王の百斤の金を取るに坐し、棄市に当たるも、病死し、国除かるるなり。陸賈は楚人なり。客を以て高祖に従ひて天下を定め、名づけて口弁有る士と為し、左右に居りて、常に諸侯に使ひす。高祖の時に及び、中国初めて定まる。尉他(いた)南越を平らげ、因りて之に王たり。高祖陸賈をして尉他に印を賜ひて南越王と為さしむ。陸生至る、尉他魋結(ついけつ)箕倨して陸生を見る。陸生因りて進みて他に説きて曰く、「足下は中国の人、親戚昆弟の墳は真定に在り。
-
史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る