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史記 / 樊酈滕灌列伝

汝陰侯夏侯嬰、沛人也。自上初起沛、常為太仆。還定三秦、從擊項籍。至彭城、項羽大破漢軍。漢王敗、不利、馳去。見孝惠魯元、載之。漢王急、馬罷、虜在後、常蹶兩兒欲棄之。嬰常收、竟載之、徐行面雍樹乃馳。漢王怒、行欲斬嬰者十餘、卒得脫、而致孝惠魯元於豐。

新字:汝陰侯夏侯嬰、沛人也。自上初起沛、常為太仆。還定三秦、従擊項籍。至彭城、項羽大破漢軍。漢王敗、不利、馳去。見孝恵魯元、載之。漢王急、馬罷、虜在後、常蹶両児欲棄之。嬰常収、竟載之、徐行面雍樹乃馳。漢王怒、行欲斬嬰者十余、卒得脫、而致孝恵魯元於豊。

書き下し

汝陰侯夏侯嬰は、沛の人なり。上の初め沛に起こりしより、常に太仆為り。還りて三秦を定め、従ひて項籍を撃つ。彭城に至り、項羽大いに漢軍を破る。漢王敗れ、利あらず、馳せ去る。孝惠・魯元を見て、之を載す。漢王急にして、馬罷れ、虜後に在り、常に両児を蹶して之を棄てんと欲す。嬰常に収め、竟に之を載せ、徐ろに行きて面(そ)むけ樹(いだ)きて乃ち馳す。漢王怒り、行くゆく嬰を斬らんと欲する者十余たびなるも、卒に脱するを得て、孝惠・魯元を豊に致す。

現代語訳

「トップが恐怖と焦りから犯す過ちを、身の危険を冒してでも正し、大切なものを守り抜く」——夏侯嬰(滕公)の情義と信念を描いた一段です。夏侯嬰は、劉邦(高祖)が挙兵した当初から、常にその御者(太仆)を務めた腹心でした。項羽との彭城の戦いで、漢軍が大敗し、劉邦が命からがら逃走したときのことです。逃げる途中、劉邦は、はぐれていた我が子(後の孝惠帝と魯元公主)を見つけ、車に乗せました。ところが、敵の追撃が迫り、馬は疲れ果て、車の速度が落ちる。焦った劉邦は、あろうことか、少しでも身軽になって逃げようと、自分の子供二人を車から突き落とそうとしたのです。しかも一度や二度ではありませんでした。しかし、御者の夏侯嬰は、そのたびに子供たちを拾い上げ、車に乗せ直し、(追っ手を警戒しながらも)子供をかばうように抱えて、あらためて車を走らせました。自分の子を捨てようとする劉邦は激怒し、逃走中に十回以上も、夏侯嬰を斬ろうとしたといいます。それでも夏侯嬰は屈せず、ついに追っ手を振り切り、二人の子供を無事に安全な地(豊)まで送り届けたのです。ここに、深い教訓があります。第一に、トップが恐怖や焦りから犯す過ちを、身の危険を冒してでも正すこと。劉邦は、極限の恐怖と焦りから、我が子を捨てるという、正常な判断を失った行動に出た。夏侯嬰は、主君に斬られそうになりながらも、その過ちに従わず、正しいこと(子供を守る)を貫いた。トップが動揺して誤った命令を下すとき、それに盲従するのではなく、身の危険を冒してでも正しい行動を取る——これは、真の忠義と信念の姿です。第二に、その場の感情に流されず、守るべきもの(大切な命)を守り抜く冷静さと粘り強さ。夏侯嬰は、劉邦の怒りにも、追っ手の恐怖にも屈せず、何度突き落とされても子供を拾い続けた。守るべきものを守るという信念を、最後まで貫いた。第三に、後から見れば、夏侯嬰の判断が正しかったこと。彼が救った子は、後の皇帝(孝惠帝)となった。トップが混乱して捨てようとしたものを、冷静な部下が守り抜いたことが、後の大きな価値を生んだ。組織や人生で、トップや上司が恐怖・焦りから犯す過ちに盲従せず、身の危険を冒してでも正しいことを貫く信念、その場の感情に流されず守るべきものを守り抜く粘り強さ——夏侯嬰の情義は、真の忠誠と信念のあり方を、静かに、しかし力強く教えています。

解説

あなたは、上司やトップが恐怖・焦りから誤った判断・命令を下したとき、それに盲従せず、身の危険を冒してでも正しいことを貫けますか?その場の感情や圧力に流されず、守るべき大切なものを守り抜く冷静さと粘り強さを持てていますか?盲従ではない、信念に基づく真の忠誠を理解していますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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