史記 / 田儋列伝
太史公曰、甚矣蒯通之謀、亂齊驕淮陰、其卒亡此兩人。田橫之高節、賓客慕義而從橫死、豈非至賢。余因而列焉。不無善畫者、莫能圖、何哉。
新字:太史公曰、甚矣蒯通之謀、乱斉驕淮陰、其卒亡此両人。田横之高節、賓客慕義而従横死、豈非至賢。余因而列焉。不無善画者、莫能図、何哉。
書き下し
太史公曰く、「甚だしきかな蒯通の謀、斉を乱し淮陰を驕らせ、其れ卒に此の両人を亡ぼす。田横の高節、賓客義を慕ひて横に従ひて死す、豈に至賢に非ずや。余因りて焉を列す。善く画く者無きに非ず、能く図する莫きは、何ぞや」と。
現代語訳
「義を慕って命を捧げさせるほどの徳の高さ(至賢)を称え、それを後世に伝えようとする」——田横の気高さへの、司馬遷の深い敬意を示した結びの一段です。司馬遷はまず、この一族の悲劇の背景に触れます。「策士・蒯通の謀略の影響は大きかった。(彼の弁舌が)斉を混乱させ、淮陰侯(韓信)を驕らせ、結局はこの二人(田横と韓信)を滅ぼす一因となった」と、乱世における権謀の罪を指摘します。しかし、司馬遷の筆の本題は、田横への称賛です。『田横之高節、賓客慕義而従横死、豈非至賢(田横の気高い節操、その部下たちが義を慕って田横に従って死んだこと——これこそ、この上ない賢(至賢)ではないか)』。田横自身の誇り高い生き様と、それに命を捧げた五百人の義——この主従の徳の高さを、司馬遷は最大級の言葉「至賢」で讃えます。そして、こう記します。「私は、(その気高さゆえに)ここに田横のことを記録するのだ」と。歴史に名を残すべき価値のある人物として、あえて一篇を立てて記録したのです。最後に、司馬遷は、印象的な一言を添えます。『善く画く者無きに非ず、能く図する莫きは、何ぞや(絵の上手な者がいないわけではないのに、(この田横と五百人の壮絶な義の場面を)誰も絵に描かないのは、なぜだろうか)』と。これほど後世に伝えるべき、感動的で気高い場面なのに、なぜ絵師たちはこれを描かないのか——その惜しむ気持ちを通して、司馬遷は、田横の義の物語がいかに描き残す価値のあるものかを、逆説的に強調しているのです。ここに、価値あるものを記録し、後世に伝えることについての教訓があります。第一に、義や徳の高さ(至賢)を、正当に評価し、称えること。司馬遷は、田横が権力闘争に敗れた「敗者」であっても、その気高い義を、この上ない賢と称えた。成否や勝敗ではなく、その生き方の徳の高さで人を評価する、司馬遷の一貫した眼差しがここにあります。第二に、価値あるもの・気高いものを、記録し後世に伝えることの意義。司馬遷は「だから私はこれを記録する」と明言し、田横の義を歴史にとどめた。優れた行いや気高い生き方は、記録され語り継がれてこそ、後世の人々の心を打ち、模範となる。第三に、「なぜ誰も描かないのか」という嘆きが示す、価値あるものが正当に顕彰されないことへの惜しみ。組織や社会で、成否や勝敗ではなく、生き方の徳の高さで人を正当に評価すること、そして価値あるもの・気高い行いを、記録し語り継いで後世に伝えることの意義——田横への司馬遷の総評は、義を称え、それを後世に残そうとする、歴史家の使命感を、静かに、しかし力強く示しています。