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史記 / 田儋列伝

高帝曰、嗟乎、有以也夫、起自布衣、兄弟三人更王、豈不賢乎哉。為之流涕、而拜其二客為都尉、發卒二千人、以王者禮葬田橫。既葬、二客穿其冢旁孔、皆自剄、下從之。高帝聞之、乃大驚、以田橫之客皆賢。吾聞其餘尚五百人在海中、使使召之。至則聞田橫死、亦皆自殺。於是乃知田橫兄弟能得士也。

新字:高帝曰、嗟乎、有以也夫、起自布衣、兄弟三人更王、豈不賢乎哉。為之流涕、而拝其二客為都尉、発卒二千人、以王者礼葬田横。既葬、二客穿其冢旁孔、皆自剄、下従之。高帝聞之、乃大驚、以田横之客皆賢。吾聞其余尚五百人在海中、使使召之。至則聞田横死、亦皆自殺。於是乃知田横兄弟能得士也。

書き下し

高帝曰く、「嗟乎、以有るかな、布衣より起こり、兄弟三人更々王たり、豈に賢ならずや」と。之が為に流涕して、其の二客を拝して都尉と為し、卒二千人を発し、王者の礼を以て田横を葬る。既に葬り、二客其の冢の旁の孔を穿ちて、皆自剄し、下りて之に従ふ。高帝之を聞き、乃ち大いに驚き、田横の客の皆賢なるを以てす。吾其の余尚ほ五百人の海中に在るを聞き、使をして之を召さしむ。至れば則ち田横の死せるを聞き、亦た皆自殺す。是に於いて乃ち田横兄弟の能く士を得たるを知るなり。

現代語訳

「一人の徳のある人物のために、多くの人が命を捧げる——真の人望とはどれほどのものか」を示した、感動的な「田横の五百人」の一段です。田横の首が届けられると、その気高い最期を知った高祖(劉邦)は、涙を流して嘆じました。「ああ、(部下があれほど慕うのには)理由があったのだ。庶民から身を起こし、兄弟三人が代わる代わる王となった。なんと優れた一族ではないか」と。そして、田横に付き従ってきた二人の部下を都尉に取り立て、二千の兵を動員して、王の礼をもって田横を手厚く葬りました。ところが、埋葬が終わると、その二人の部下は、田横の墓の傍らに穴を掘り、そこで自ら首をはねて、主君の後を追って殉死したのです。高祖はこれを聞いて大いに驚き、「田横の部下は、皆これほど賢く(義に厚い)のか」と感嘆します。そして、まだ海上の孤島に五百人の部下が残っていると聞き、彼らを召し出そうと使者を送りました。しかし、使者が島に着くと、島の五百人は、田横が死んだと知るや、一人残らず、全員が自殺していたのです。ここに至って、人々は、田横兄弟が、いかに深く人の心を得ていたか(能く士を得たり)を、思い知ったのでした。ここに、真の人望・リーダーシップについての、これ以上ない教訓があります。第一に、真の人望とは、地位や権力による強制ではなく、人が自発的に命すら捧げるほどの、心からの敬愛だということ。田横は、権力を失い、逃亡の身でした。それでも、二人の部下は殉死し、五百人全員が後を追った。彼らを動かしたのは、報酬でも強制でもなく、田横という人物への、心からの敬愛と義でした。真のリーダーシップは、その人がいなくなった後、あるいは力を失った後にこそ、試される。第二に、人望は、その人の生き方・人格の総和として現れるということ。五百人が命を捧げたのは、田横の一時的な恩や利益ではなく、その生き様全体(気高さ、義、部下への接し方)への敬愛からでした。第三に、この物語の持つ、義と忠誠の極限の美しさと、同時にその重さ。五百人の殉死は、人望の極致を示す一方で、これほど多くの命が失われたことの重さも、静かに問いかけます。組織や人生で、真の人望とは、地位や権力による強制ではなく、その人の生き方・人格への心からの敬愛から生まれること、そしてそれは力を失った後にこそ試されること——田横の五百人の物語は、人が人を心から慕うとはどういうことかを、時代を超えて、深く伝えています。

解説

あなたは、地位や権力による強制ではなく、人が自発的に力を尽くしたくなるような、心からの敬愛(真の人望)を得られていますか?その人望が、あなたが力や地位を失った後にこそ試されることを理解していますか?人望が、一時的な恩や利益ではなく、生き方・人格の総和から生まれることを自覚していますか?

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