史記 / 韓信盧綰列伝
太史公曰、韓信盧綰非素積德累善之世、徼一時權變、以詐力成功、遭漢初定、故得列地、南面稱孤。內見疑彊大、外倚蠻貊以為援、是以日疏自危、事窮智困、卒赴匈奴、豈不哀哉。陳豨、其少時數稱慕魏公子。及將軍守邊、招致賓客而下士、名聲過實。周昌疑之、疵瑕頗起、懼禍及身、邪人進說、遂陷無道。於戲悲夫。夫計之生孰成敗於人也深矣。
新字:太史公曰、韓信盧綰非素積徳累善之世、徼一時権変、以詐力成功、遭漢初定、故得列地、南面称孤。内見疑彊大、外倚蠻貊以為援、是以日疏自危、事窮智困、卒赴匈奴、豈不哀哉。陳豨、其少時数称慕魏公子。及将軍守辺、招致賓客而下士、名声過実。周昌疑之、疵瑕頗起、懼禍及身、邪人進説、遂陥無道。於戯悲夫。夫計之生孰成敗於人也深矣。
書き下し
太史公曰く、「韓信・盧綰は素より徳を積み善を累ぬるの世に非ず、一時の権変を徼め、詐力を以て功を成し、漢の初めて定まるに遭ふ、故に地を列するを得、南面して孤と称す。内に彊大を疑はれ、外に蛮貊に倚りて以て援と為す、是を以て日に疏んぜられて自ら危ふく、事窮まり智困しみ、卒に匈奴に赴く、豈に哀しからずや。陳豨、其の少き時数々魏公子を慕ふと称す。将軍として辺を守るに及び、賓客を招致して士に下り、名声実に過ぐ。周昌之を疑ひ、疵瑕頗る起こり、禍の身に及ばんことを懼れ、邪人説を進め、遂に無道に陥る。於戯悲しいかな。夫れ計の生孰は、人に成敗するや深し」と。
現代語訳
太史公は言う。「韓王信と盧綰は、もともと徳を積み善を重ねてきた家柄ではない。一時の権謀に乗じ、偽りと力によって功を成し、漢が定まったばかりの時勢に恵まれた。だから領地を得て、南面して孤と称することができたのである。しかし内には強大さを疑われ、外には蛮族に頼って後ろ盾とした。それゆえ日ごとに遠ざけられて我が身が危うくなり、事は行き詰まり智恵も尽きて、ついに匈奴へ走った。哀れではないか。陳豨は、若いころ、しきりに魏の公子(信陵君)を慕っていたという。将軍として辺境を守るようになると、食客を集めて士にへりくだり、名声が実質を上回った。周昌がこれを疑い、傷や欠点がしきりに露見し、禍いが我が身に及ぶことを恐れ、そこへよこしまな者が説を進めて、ついに無道に陥った。ああ、悲しいことだ。計画が熟しているかどうかが、人の成敗を深く左右するのである」。
解説
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