史記 / 黥布列伝
太史公曰、英布者、其先豈春秋所見楚滅英六、皋陶之後哉。身被刑法、何其拔興之暴也。項氏之所阬殺人以千萬數、而布常為首虐。功冠諸侯、用此得王、亦不免於身為世大僇。禍之興自愛姬殖、妒媢生患、竟以滅國。
新字:太史公曰、英布者、其先豈春秋所見楚滅英六、皋陶之後哉。身被刑法、何其抜興之暴也。項氏之所阬殺人以千万数、而布常為首虐。功冠諸侯、用此得王、亦不免於身為世大僇。禍之興自愛姫殖、妬媢生患、竟以滅国。
書き下し
太史公曰く、「英布は、其の先豈に春秋に見ゆる所の楚の滅ぼす英・六、皋陶の後ならんや。身刑法を被る、何ぞ其の拔興の暴なるや。項氏の阬殺する所の人千万を以て数へ、而して布常に首虐と為る。功諸侯に冠たり、此を用て王たるを得るも、亦た身の世の大僇と為るを免れず。禍の興るは愛姫より殖し、妒媢患ひを生じ、竟に以て国を滅ぼす」と。
現代語訳
太史公は言う。「英布は、その先祖はもしや『春秋』に見える、楚に滅ぼされた英や六の国、つまり皋陶の子孫ではないだろうか。身に刑罰を受けながら、なんと急激に頭角を現したことか。項羽が生き埋めにした人は千万を数えるが、布はいつもその虐殺の先頭に立っていた。功は諸侯の筆頭で、それによって王となれた。それでも我が身が世の大きな辱めを受けることは免れなかった。その禍いは愛姫のことから増殖し、嫉妬が災いを生み、ついに国を滅ぼしたのである」。
解説
「大功を立てて栄華を極めた者が、ささいな私生活のもつれ(嫉妬)から、国を滅ぼす大禍に至る」——黥布の生涯を総括し、大事が些事から崩れる恐ろしさを説いた、司馬遷の結びの一段です。司馬遷は、英布(黥布)の生涯を振り返ります。一囚人の身から驚くべき勢いで身を起こし(拔興之暴)、戦場では項羽の軍で、二十万の秦兵を穴埋めにするなど、常に最も残虐な役割を担った猛将でした。その戦功は諸侯の中で随一で、その功によって王の位を得た。しかし、その栄華を極めた英布も、最後は世の大きな辱め(処刑・滅亡)を免れなかった。そして司馬遷は、その破滅の意外な発端を指摘します。『禍之興自愛姬殖、妒媢生患、竟以滅國(その禍いが起こったのは、寵愛する側女のことから広がり、嫉妬が災いを生み、ついには国を滅ぼすに至った)』と。実は、黥布の反乱と滅亡のきっかけは、些細な私生活のもつれでした。彼の寵姫が病気で、ある医者に通ううち、その医者の隣に住む中大夫・賁赫と親しくなった。黥布はこれに嫉妬し、賁赫を疑って殺そうとする。恐れた賁赫は漢に逃げ込み、「黥布が謀反を企てている」と密告した——これが、黥布が追い詰められて反乱を起こし、滅亡する引き金になったのです。天下に武名を轟かせ、王にまで上り詰めた英雄が、寵姫をめぐる嫉妬という、あまりに個人的で些細なことから、国を滅ぼす大禍に至った。ここに、深い教訓があります。第一に、大きな事業や地位も、しばしば「些細な私事」のもつれから崩れるということ。黥布を滅ぼしたのは、敵の軍勢や大戦略ではなく、寵姫をめぐる個人的な嫉妬でした。大局を左右するような立場の人物ほど、私生活の些細な感情のもつれが、思わぬ大禍を招きうる。公的な大事を担う者は、私的な感情の管理にも細心の注意が要る。第二に、嫉妬という感情の破壊力。黥布の嫉妬が、疑心を生み、賁赫を追い詰め、その讒言(密告)を招き、反乱と滅亡へと連鎖した。制御されない嫉妬・猜疑は、身近な人間関係を壊すだけでなく、時に自分自身をも破滅させる。第三に、栄華の絶頂にある者ほど、足元の些細なほころびに注意すべきだということ。組織や人生で、大きな地位や事業も、私生活の些細な感情のもつれ(嫉妬・猜疑)から崩れうること、そして制御されない嫉妬が破滅の連鎖を生むこと——黥布の滅亡への司馬遷の総評は、大事は些事に宿るという、人生の落とし穴を鋭く教えています。
この章句が説くこと
太史公評黥布禍は愛姫より起こる嫉妬が国を滅ぼす大事は些事に宿る私事のもつれ
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