史記 / 黥布列伝
十一年,高后誅淮陰侯,布因心恐。夏,漢誅梁王彭越,醢之,盛其醢遍賜諸侯。至淮南,淮南王方獵,見醢,因大恐,陰令人部聚兵,候伺旁郡警急。布所幸姬疾,請就醫,醫家與中大夫賁赫對門,姬數如醫家,賁赫自以為侍中,乃厚餽遺,從姬飲醫家。姬侍王,從容語次,譽赫長者也。王怒曰:「汝安從知之?」具說狀。王疑其與亂。赫恐,稱病。王愈怒,欲捕赫。赫言變事,乘傳詣長安。布使人追,不及。赫至,上變,言布謀反有端,可先未發誅也。上讀其書,語蕭相國。相國曰:「布不宜有此,恐仇怨妄誣之。請擊赫,使人微驗淮南王。」淮南王布見赫以罪亡,上變,固已疑其言國陰事;漢使又來,頗有所驗,遂族赫家,發兵反。反書聞,上乃赦賁赫,以為將軍。上召諸將問曰:「布反,為之柰何?」皆曰;「發兵擊之,阬豎子耳。何能為乎!」汝陰侯滕公召故楚令尹問之。令尹曰:「是故當反。」滕公曰:「上裂地而王之,疏爵而貴之,南面而立萬乘之主,其反何也?」令尹曰:「往年殺彭越,前年殺韓信,此三人者,同功一體之人也。自疑禍及身,故反耳。」滕公言之上曰:「臣客故楚令尹薛公者,其人有籌筴之計,可問。」上乃召見問薛公。薛公對曰:「布反不足怪也。使布出於上計,
新字:十一年,高后誅淮陰侯,布因心恐。夏,漢誅梁王彭越,醢之,盛其醢遍賜諸侯。至淮南,淮南王方猟,見醢,因大恐,陰令人部聚兵,候伺旁郡警急。布所幸姫疾,請就医,医家与中大夫賁赫対門,姫数如医家,賁赫自以為侍中,乃厚餽遺,従姫飲医家。姫侍王,従容語次,誉赫長者也。王怒曰:「汝安従知之?」具説状。王疑其与乱。赫恐,称病。王愈怒,欲捕赫。赫言変事,乗伝詣長安。布使人追,不及。赫至,上変,言布謀反有端,可先未発誅也。上読其書,語蕭相国。相国曰:「布不宜有此,恐仇怨妄誣之。請撃赫,使人微験淮南王。」淮南王布見赫以罪亡,上変,固已疑其言国陰事;漢使又来,頗有所験,遂族赫家,発兵反。反書聞,上乃赦賁赫,以為将軍。上召諸将問曰:「布反,為之柰何?」皆曰;「発兵撃之,阬豎子耳。何能為乎!」汝陰侯滕公召故楚令尹問之。令尹曰:「是故当反。」滕公曰:「上裂地而王之,疏爵而貴之,南面而立万乗之主,其反何也?」令尹曰:「往年殺彭越,前年殺韓信,此三人者,同功一体之人也。自疑禍及身,故反耳。」滕公言之上曰:「臣客故楚令尹薛公者,其人有籌筴之計,可問。」上乃召見問薛公。薛公対曰:「布反不足怪也。使布出於上計,
書き下し
十一年、高后淮陰侯を誅す。布因りて心に恐る。夏、漢梁王彭越を誅し、之を醢にし、其の醢を盛りて遍く諸侯に賜ふ。淮南に至る。淮南王方に猟し、醢を見て、因りて大いに恐れ、陰かに人をして兵を部聚せしめ、旁郡の警急を候伺せしむ。布の幸する所の姫疾み、医に就かんことを請ふ。医の家は中大夫賁赫と門を対す。姫数々医の家に如く。賁赫自ら以て侍中為りとし、乃ち厚く餽遺し、姫に従ひて医の家に飲む。姫王に侍し、従容として語る次に、赫を長者なりと誉む。王怒りて曰く、「汝安くよりか之を知る」と。具に状を説く。王其の与に乱るるを疑ふ。赫恐れ、病と称す。王愈々怒り、赫を捕へんと欲す。赫変事を言はんとし、伝に乗りて長安に詣る。布人をして追はしむるも、及ばず。赫至り、変を上り、布の反を謀るに端有り、未だ発せざるに先んじて誅すべしと言ふ。上其の書を読み、蕭相国に語る。相国曰く、「布宜しく此れ有るべからず。恐らくは仇怨妄りに之を誣ふるならん。請ふ赫を撃ち、人をして微かに淮南王を験せしめん」と。淮南王布、赫の罪を以て亡げ、変を上るを見て、固より已に其の国の陰事を言はんことを疑ふ。漢の使又来たり、頗る験する所有り。遂に赫の家を族し、兵を発して反す。反書聞こゆ。上乃ち賁赫を赦し、以て将軍と為す。上諸将を召して問ひて曰く、「布反す。之を為すこと柰何」と。皆曰く、「兵を発して之を撃ち、豎子を阬にせんのみ。何ぞ能く為さんや」と。汝陰侯滕公、故の楚の令尹を召して之に問ふ。令尹曰く、「是れ故より当に反すべし」と。滕公曰く、「上地を裂きて之を王とし、爵を疏ちて之を貴くし、南面して万乗の主と立つ。其の反するは何ぞや」と。令尹曰く、「往年彭越を殺し、前年韓信を殺す。此の三人は、功を同じくし体を一にするの人なり。自ら禍の身に及ぶを疑ふ。故に反するのみ」と。滕公之を上に言ひて曰く、「臣の客故の楚の令尹薛公なる者、其の人籌筴の計有り。問ふべし」と。上乃ち召見して薛公に問ふ。薛公対へて曰く、「布の反するは怪しむに足らざるなり。布をして上計に出でしめば、
現代語訳
十一年、高后(呂后)が淮陰侯韓信を誅殺した。英布はそのため心中で恐れた。その夏、漢は梁王彭越を誅殺して塩漬けの肉にし、それを器に盛って諸侯に広く配った。それが淮南に届いたとき、淮南王はちょうど狩りをしていて、塩漬けを見て大いに恐れ、ひそかに人に命じて兵を集めさせ、隣の郡に異変が起きていないかを探らせた。英布の寵愛する姫が病気になり、医者のもとで治療を受けたいと願い出た。医者の家は中大夫の賁赫の家と向かい合っていた。姫がたびたび医者の家に通うので、賁赫は自分が宮中に仕える身であることから、手厚い贈り物をし、姫とともに医者の家で酒を飲んだ。姫は王のそばに仕えているとき、何気ない話のついでに、賁赫は立派な人だと褒めた。王は怒って「おまえはどうしてそんなことを知っているのか」と言った。姫が事情を詳しく話すと、王は二人が密通しているのではないかと疑った。賁赫は恐れて病気と称した。王はますます怒り、賁赫を捕らえようとした。賁赫は謀反の変事を訴えようと、駅伝の車に乗って長安へ向かった。英布は人に追わせたが、追いつかなかった。賁赫は長安に着くと変事を上奏し、英布には謀反の兆しがあるので、事を起こす前に先手を打って誅殺すべきだと言った。高祖はその書を読んで、相国の蕭何に話した。相国は言った。「英布がそんなことをするはずがない。おそらく恨みを持つ者がでたらめに陥れようとしているのだろう。どうか賁赫を捕らえておいて、人をやってひそかに淮南王の様子を探らせていただきたい」。淮南王英布は、賁赫が罪を犯して逃げ、変事を上奏したのを知って、もともと自分の国の内情を暴露されるのではないかと疑っていた。そこへ漢の使者がやって来て、かなり調べ上げていった。そこで英布はついに賁赫の一族を皆殺しにし、兵を挙げて反乱を起こした。反乱の知らせが届くと、高祖は賁赫を赦して将軍とした。高祖は諸将を呼んで尋ねた。「英布が反乱を起こした。どうすればよいか」。諸将はみな言った。「兵を出して討ち、あの小僧を生き埋めにするだけだ。何ができるものか」。汝陰侯の滕公(夏侯嬰)は、もと楚の令尹(宰相)であった人を呼んで尋ねた。令尹は言った。「あれはもともと反乱を起こすはずだった」。滕公は言った。「陛下は領土を分けて彼を王とし、爵位を与えて尊び、南面する万乗の君主に立てた。それなのになぜ反乱を起こすのか」。令尹は言った。「一昨年は彭越を殺し、昨年は韓信を殺した。この三人は同じような功績を立てた一心同体の者たちだ。英布は禍が自分に及ぶのではないかと疑った。だから反乱を起こしたのだ」。滕公はこれを高祖に申し上げた。「私の客人で、もと楚の令尹の薛公という者は、策略に長けている。尋ねてみるとよい」。高祖はそこで薛公を呼んで尋ねた。薛公は答えた。「英布が反乱を起こしたのは不思議ではない。もし英布が上策をとれば、
解説
この章句が説くこと
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『長短経』三国権漢の高帝の時、淮南王英布反す〔布は六安に都す、今の寿州是れなり〕。反書聞こゆ。上、諸将を召して問う「布反す。之を為すこと奈何」と。汝陰侯滕公曰く「臣の客、故の楚の令尹薛公、籌策有り。問うべし」と。〔初め滕公、令尹に問う。令尹曰く「是れ故より当に反すべし」と。滕公曰く「上は地を裂きて之を王とし、爵を疏きて之を賞し、南面して立つこと、万乗の主なり。其の反するは何ぞや」と。令尹曰く「往年彭越を殺し、前年韓信を殺す。此の三人は功を同じくし体を一にするの人なり。自ら禍の及ばんことを疑う、故に反するのみ」と。〕
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史記 黥布列伝山東は漢の有に非ざるなり。中計に出でば、勝敗の数未だ知るべからざるなり。下計に出でば、陛下枕を安んじて臥せん」と。上曰く、「何をか上計と謂ふ」と。令尹対へて曰く、「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、斉を并せ魯を取り、檄を燕・趙に伝へ、固く其の所を守らば、山東は漢の有に非ざるなり」と。「何をか中計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた楚を取り、韓を并せ魏を取り、敖庾の粟に拠り、成皋の口を塞がば、勝敗の数未だ知るべからざるなり」と。「何をか下計と謂ふ」と。「東のかた呉を取り、西のかた下蔡を取り、重を越に帰し、身は長沙に帰せば、陛下枕を安んじて臥し、漢事無からん」と。上曰く、「是の計将に安くにか出でんとす」と。令尹対へて曰く、「下計に出でん」と。上曰く、「何の謂ぞ上中計を廃して下計に出づるとは」と。令尹曰く、「布は故の麗山の徒なり。自ら万乗の主に致る。此れ皆身の為にして、後に百姓万世の為に慮ることを顧みざる者なり。故に下計に出づと曰ふ」と。上曰く、「善し」と。薛公に千戸を封ず。乃ち皇子長を立てて淮南王と為す。上遂に兵を発し、自ら将として東のかた布を撃つ。布の初めて反するや、其の将に謂ひて曰く、「上老いたり、兵を厭ふ。必ず来たる能はず。諸将をして使はしめん。諸将は独り淮陰・彭越を患ふるのみ。今皆已に死せり。余は畏るるに足らざるなり」と。故に遂に反す。果して薛公の之を籌るが如く、
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史記 黥布列伝其の八月、布将をして義帝を撃たしめ、追ひて之を郴県に殺す。漢の二年、斉王田栄楚に畔く。項王往きて斉を撃ち、兵を九江に徴す。九江王布病と称して往かず、将をして数千人を将ゐて行かしむ。漢の楚を彭城に敗るや、布又病と称して楚を佐けず。項王此に由りて布を怨み、数々使者をして誚譲して布を召さしむ。布愈々恐れ、敢て往かず。項王方に北は斉・趙を憂へ、西は漢を患ふ。与する所の者は独り九江王のみ。又布の材を多とし、親しみて之を用ひんと欲す。故を以て未だ撃たず。漢の三年、漢王楚を撃ち、大いに彭城に戦ひて、利あらず。梁の地に出でて、虞に至り、左右に謂ひて曰く、「彼等の如き者は、与に天下の事を計るに足る無し」と。謁者隨何進みて曰く、「陛下の謂ふ所を審らかにせず」と。漢王曰く、「孰か能く我が為に淮南に使ひし、之をして兵を発して楚に倍かしめ、項王を斉に留むること数月ならしめん。我の天下を取ること以て百全なるべし」と。隨何曰く、「臣請ふ之に使ひせん」と。乃ち二十人と倶に、淮南に使ひす。至る。太宰に因りて之を主とせしむるも、三日見ゆるを得ず。隨何因りて太宰に説きて曰く、「王の何に見えざるは、必ず楚を以て彊と為し、漢を以て弱と為すならん。此れ臣の使ひを為す所以なり。何をして見ゆるを得しめ、之を言ひて是ならば、是れ大王の聞かんと欲する所なり。之を言ひて非ならば、何等二十人をして斧質に淮南の市に伏せしめ、以て王の漢に倍きて楚に与するを明らかにせよ」と。太宰乃ち之を王に言ふ。王之に見ゆ。隨何曰く、「漢王臣をして敬んで書を大王の御者に進めしむ。竊かに大王の楚と何ぞ親しきを怪しむ」と。淮南王曰く、「寡人北郷して之に臣事す」と。隨何曰く、「大王と項王と倶に列して諸侯と為る。北郷して之に臣事するは、必ず楚を以て彊と為し、以て国を託すべしとすればなり。項王斉を伐つに、身づから板築を負ひ、以て士卒の先と為る。大王宜しく淮南の衆を悉くし、身づから自ら之に将として、楚軍の前鋒と為るべし。今乃ち四千人を発して以て楚を助く。
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史記 黥布列伝東のかた荊を撃つ。荊王劉賈走りて富陵に死す。尽く其の兵を劫かし、淮を渡りて楚を撃つ。楚兵を発して与に徐・僮の間に戦ひ、三軍と為し、以て相救ひて奇を為さんと欲す。或ひと楚の将に説きて曰く、「布は善く兵を用ふ。民素より之を畏る。且つ兵法に、諸侯其の地に戦ふを散地と為す。今別れて三と為る。彼吾が一軍を敗らば、余は皆走らん。安くんぞ能く相救はん」と。聴かず。布果して其の一軍を破り、其の二軍散走す。遂に西し、上の兵と蘄の西の会甀に遇ふ。布の兵精甚だし。上乃ち庸城に壁し、布の軍の陳を置くこと項籍の軍の如きを望み、上之を悪む。布と相望見し、遙かに布に謂ひて曰く、「何を苦しみて反するや」と。布曰く、「帝為らんと欲するのみ」と。上怒りて之を罵り、遂に大いに戦ふ。布の軍敗走し、淮を渡り、数々止まりて戦ふも、利あらず。百余人と江南に走る。布故より番君と婚す。故を以て長沙の哀王人をして布を紿かしめ、偽りて与に亡げんとし、誘ひて越に走らしむ。故に信じて之に随ひて番陽に之く。番陽の人布を茲郷の民の田舎に殺し、遂に黥布を滅ぼす。皇子長を立てて淮南王と為し、賁赫を封じて期思侯と為す。諸将率ね多く功を以て封ぜらるる者あり。
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史記 黥布列伝夫れ北面して人に臣事する者は、固より是の若きか。夫れ漢王彭城に戦ひ、項王未だ斉を出でざるに、大王宜しく淮南の兵を騒して淮を渡り、日夜彭城の下に会戦すべし。大王万人の衆を撫しながら、一人の淮を渡る者無く、垂拱して其の孰れか勝つを観る。夫れ国を人に託する者は、固より是の若きか。大王空名を提げて以て楚に郷ひ、而して厚く自ら託せんと欲す。臣竊かに大王の為に取らざるなり。然り而して大王楚に背かざる者は、漢を以て弱と為せばなり。夫れ楚の兵彊しと雖も、天下之に負はすに不義の名を以てす。其の盟約に背きて義帝を殺すを以てなり。然り而して楚王戦勝を恃みて自ら彊しとす。漢王は諸侯を収め、還りて成皋・滎陽を守り、蜀・漢の粟を下し、溝を深くし壁を塁ね、卒を分かちて徼を守り塞に乗る。楚人兵を還すに、間つるに梁の地を以てし、深く敵国に入ること八九百里、戦はんと欲すれば則ち得ず、城を攻むれば則ち力能はず、老弱糧を千里の外に転ず。楚の兵滎陽・成皋に至るも、漢堅く守りて動かず、進めば則ち攻むるを得ず、退けば則ち解くるを得ず。故に曰く、楚の兵は恃むに足らざるなりと。楚をして漢に勝たしむれば、則ち諸侯自ら危懼して相救はん。夫れ楚の彊は、適々以て天下の兵を致すに足るのみ。故に楚の漢に如かざること、其の勢見易し。今大王万全の漢に与せずして自ら危亡の楚に託す。臣竊かに大王の為に之を惑ふ。臣は淮南の兵を以て楚を亡ぼすに足ると為すに非ざるなり。夫れ大王兵を発して楚に倍かば、項王必ず留まらん。留まること数月、漢の天下を取ること以て万全なるべし。臣請ふ大王と剣を提げて漢に帰せん。漢王必ず地を裂きて大王を封ぜん。又況んや淮南をや。淮南は必ず大王の有たん。故に漢王敬んで使臣をして愚計を進めしむ。願はくは大王の意を留めよ」と。淮南王曰く、「請ふ命を奉ぜん」と。陰かに楚に畔きて漢に与するを許すも、未だ敢て泄らさず。楚の使者在り、方に急に英布に兵を発することを責め、伝舎に舎る。
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史記 黥布列伝楚、項声・竜且をして淮南を攻めしめ、項王留まりて下邑を攻む。数月、竜且淮南を撃ち、布の軍を破る。布兵を引きて漢に走らんと欲するも、楚王の之を殺さんことを恐る。故に間行して何と倶に漢に帰す。淮南王至る。上方に床に踞して洗ひ、布を召して入り見えしむ。布大いに怒り、来たりしを悔い、自殺せんと欲す。出でて舎に就く。帳御飲食従官漢王の居の如し。布又大いに喜び望みに過ぐ。是に於て乃ち人をして九江に入らしむ。楚已に項伯をして九江の兵を収めしめ、尽く布の妻子を殺す。布の使者頗る故人幸臣を得、衆数千人を将ゐて漢に帰す。漢益々布に兵を分かちて与に倶に北し、兵を収めて成皋に至る。四年七月、布を立てて淮南王と為し、与に項籍を撃つ。漢の五年、布人をして九江に入らしめ、数県を得。六年、布劉賈と九江に入り、大司馬周殷を誘ふ。周殷楚に反き、遂に九江の兵を挙げて漢と楚を撃ち、之を垓下に破る。項籍死し、天下定まる。上置酒す。上隨何の功を折き、何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんと。隨何跪きて曰く、「夫れ陛下兵を引きて彭城を攻むるに、楚王未だ斉を去らず。陛下歩卒五万人、騎五千を発して、能く以て淮南を取らんか」と。上曰く、「能はず」と。隨何曰く、「陛下何と二十人とをして淮南に使ひせしめ、至りて陛下の意の如くならしむ。是れ何の功は歩卒五万人騎五千より賢れるなり。然り而して陛下何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんとするは、何ぞや」と。上曰く、「吾方に子の功を図らんとす」と。乃ち隨何を以て護軍中尉と為す。布遂に符を剖きて淮南王と為り、六に都す。九江・廬江・衡山・豫章の郡皆布に属す。七年、陳に朝す。八年、雒陽に朝す。九年、長安に朝す。
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