史記 / 魏豹彭越列伝
漢已定天下、封彭越為梁王、都定陶。十年秋、陳豨反代地、高帝自往擊、徵兵梁王。梁王稱病、使將將兵詣邯鄲。高帝怒、使人讓梁王。梁王恐、欲自往謝。其將扈輒曰、王始不往、見讓而往、往則為禽矣。不如遂發兵反。梁王不聽、稱病。梁王怒其太仆、欲斬之。太仆亡走漢、告梁王謀反。於是上捕梁王、囚之雒陽。上赦以為庶人、傳處蜀。西至鄭、逢呂后。彭王為呂后泣涕、自言無罪、願處故昌邑。呂后許諾、與俱東至雒陽。呂后白上曰、彭王壯士、今徙之蜀、此自遺患、不如遂誅之。於是呂后令告彭越復謀反、遂夷越宗族、國除。
新字:漢已定天下、封彭越為梁王、都定陶。十年秋、陳豨反代地、高帝自往擊、徴兵梁王。梁王称病、使将将兵詣邯鄲。高帝怒、使人譲梁王。梁王恐、欲自往謝。其将扈輒曰、王始不往、見譲而往、往則為禽矣。不如遂発兵反。梁王不聴、称病。梁王怒其太仆、欲斬之。太仆亡走漢、告梁王謀反。於是上捕梁王、囚之雒陽。上赦以為庶人、伝処蜀。西至鄭、逢呂后。彭王為呂后泣涕、自言無罪、願処故昌邑。呂后許諾、与倶東至雒陽。呂后白上曰、彭王壮士、今徙之蜀、此自遺患、不如遂誅之。於是呂后令告彭越復謀反、遂夷越宗族、国除。
書き下し
漢已に天下を定め、彭越を封じて梁王と為し、定陶に都す。十年の秋、陳豨代の地に反し、高帝自ら往きて撃ち、兵を梁王に徴す。梁王病と称し、将をして兵を将ゐて邯鄲に詣らしむ。高帝怒り、人をして梁王を讓めしむ。梁王恐れ、自ら往きて謝せんと欲す。其の将扈輒曰く、「王始め往かず、讓を見て往かば、往けば則ち禽にせられん。遂に兵を発して反するに如かず」と。梁王聴かず、病と称す。梁王其の太仆を怒り、之を斬らんと欲す。太仆亡げて漢に走り、梁王の謀反を告ぐ。是に於いて上梁王を捕へ、之を雒陽に囚ふ。上赦して以て庶人と為し、蜀に伝処せしむ。西のかた鄭に至り、呂后に逢ふ。彭王呂后の為に泣涕し、自ら無罪を言ひ、故の昌邑に処らんことを願ふ。呂后許諾し、与に俱に東のかた雒陽に至る。呂后上に白して曰く、「彭王は壮士なり、今之を蜀に徙すは、此れ自ら患ひを遺す、遂に之を誅するに如かず」と。是に於いて呂后彭越の復た謀反せりと告げしめ、遂に越の宗族を夷げ、国除かる。
現代語訳
漢が天下を平定すると、彭越を封じて梁王とし、定陶を都とした。十年の秋、陳豨が代の地で反乱を起こし、高帝は自ら出撃して、梁王にも兵を出すよう求めた。梁王は病と称し、部将に兵を率いさせて邯鄲へ向かわせた。高帝は怒り、人をやって梁王を責めさせた。梁王は恐れ、自ら出向いて詫びようとした。その部将の扈輒は言った。「王は最初に出向かず、責められてから行かれる。行けば捕らえられます。いっそ兵を挙げて反旗を翻すに越したことはありません」。梁王は聞き入れず、病と称し続けた。梁王は自分の御者頭に腹を立て、斬ろうとした。御者頭は逃げて漢へ走り、梁王が謀反を企てていると訴えた。そこで帝は梁王を捕らえ、雒陽に幽閉した。帝は赦して庶民に落とし、蜀へ流すことにした。西へ向かって鄭まで来たとき、呂后に出会った。彭王は呂后の前で涙を流し、自分は無実だと訴え、故郷の昌邑に住まわせてほしいと願った。呂后は承知し、彼を連れて東の雒陽へ戻った。呂后は帝に申し上げて言った。「彭王は豪の者です。今これを蜀へ移せば、自ら禍いの種を残すことになります。いっそ誅殺してしまうに越したことはありません」。そこで呂后は、彭越がふたたび謀反を企てたと訴えさせ、ついに彭越の一族を皆殺しにし、その国は取り潰された。