史記 / 魏豹彭越列伝
魏豹者、故魏諸公子也。秦滅魏、豹亡走。陳勝起、豹徇魏地、立為魏王。章邯擊魏、魏豹亡走楚、楚予豹數千人、復徇魏地、立為魏王。漢王還定三秦、魏王豹以國屬焉、遂從擊楚於彭城。漢敗、魏豹以親疾請歸視、至國即絕河津畔漢。漢遣韓信擊虜豹、傳詣滎陽。其後漢誅魏豹。
新字:魏豹者、故魏諸公子也。秦滅魏、豹亡走。陳勝起、豹徇魏地、立為魏王。章邯擊魏、魏豹亡走楚、楚予豹数千人、復徇魏地、立為魏王。漢王還定三秦、魏王豹以国属焉、遂従擊楚於彭城。漢敗、魏豹以親疾請歸視、至国即絶河津畔漢。漢遣韓信擊虜豹、伝詣滎陽。其後漢誅魏豹。
書き下し
魏豹は、故の魏の諸公子なり。秦魏を滅ぼし、豹亡げ走る。陳勝起こり、豹魏の地を徇へ、立ちて魏王と為る。章邯魏を撃ち、魏豹亡げて楚に走る。楚豹に数千人を予へ、復た魏の地を徇へ、立ちて魏王と為る。漢王還りて三秦を定むるや、魏王豹国を以て焉に属し、遂に従ひて楚を彭城に撃つ。漢敗るるや、魏豹親の疾を以て帰り視んことを請ひ、国に至るや即ち河津を絶ちて漢に畔く。漢韓信を遣りて豹を撃ち虜にし、伝へて滎陽に詣らしむ。其の後漢魏豹を誅す。
現代語訳
「その時々の勢いに流されて去就を定めず、日和見を繰り返した末に滅ぶ」——確固たる立場を持たなかった魏豹の生涯を描いた一段です。魏豹は、旧魏の公子という名門の出でした。秦末の動乱の中で、彼は魏王として復興を果たしますが、その後の身の処し方は、一貫性を欠くものでした。秦の章邯に攻められれば楚へ逃げ込み、楚の力を借りて再び魏王となる。劉邦(漢)が勢いを増せば漢に従い、共に楚を攻める。しかし漢が彭城で楚に大敗すると、今度は「親の病気を見舞う」と口実を作って帰国し、そのまま黄河の渡し場を封鎖して漢を裏切る——。彼は、その時々に優勢に見える側へと、次々と乗り換えていったのです。この日和見の末、魏豹は漢の名将・韓信に討たれて捕らえられ、後に処刑されました。ここに、去就と立場についての教訓があります。第一に、その時々の勢いに流されて去就を定めない者は、最終的にどの陣営からも信頼されず、身を滅ぼすということ。魏豹は、勝ちそうな側に次々と乗り換えることで、目先の安全を得ようとしました。しかし、そうした日和見は、味方からは「いつ裏切るか分からない」と警戒され、結局はどこにも確かな居場所を失う。信頼は、一貫した立場と誠実さから生まれるものであり、状況に応じて裏切りを繰り返す者には、誰も本気で味方しません。第二に、目先の損得(優勢な側につく)だけで動くことの危うさ。魏豹は、大局や信義ではなく、その場その場の有利不利だけで判断した。しかし、勢いは移ろうもので、その都度乗り換えていては、いつか判断を誤り、また信頼も失う。第三に、確固たる立場・信念を持つことの重要性。組織やキャリアで、その時々の勢いや損得に流されて、立場や態度をころころ変えていないか、そして一貫した誠実さで信頼を築けているか——魏豹の日和見の末路は、去就に節操を欠くことの危うさを教えます。ただし、乱世で生き延びるための現実的な処世として、状況に応じて身を処す柔軟さも一概には否定できず、一貫性と柔軟性のバランスという難問も、この生涯は含んでいます。