史記 / 張耳陳余列伝
太史公曰、張耳陳餘、世傳所稱賢者。其賓客廝役、莫非天下俊桀、所居國無不取卿相者。然張耳陳餘始居約時、相然信以死、豈顧問哉。及據國爭權、卒相滅亡、何鄉者相慕用之誠、後相倍之戾也。豈非以勢利交哉。名譽雖高、賓客雖盛、所由殆與大伯延陵季子異矣。
新字:太史公曰、張耳陳余、世伝所稱賢者。其賓客廝役、莫非天下俊桀、所居国無不取卿相者。然張耳陳余始居約時、相然信以死、豈顧問哉。及拠国争権、卒相滅亡、何鄉者相慕用之誠、後相倍之戻也。豈非以勢利交哉。名誉雖高、賓客雖盛、所由殆与大伯延陵季子異矣。
書き下し
太史公曰く、「張耳・陳餘は、世に伝へて称する所の賢者なり。其の賓客廝役、天下の俊桀に非ざる莫く、居る所の国卿相を取らざる無し。然れども張耳・陳餘始め約に居る時、相ひ然信して死を以てす、豈に顧問せんや。国に拠りて権を争ふに及び、卒に相ひ滅亡す、何ぞ郷者相慕用するの誠なるに、後相倍くの戾なるや。豈に勢利を以て交はるに非ずや。名誉高しと雖も、賓客盛んなりと雖も、由る所殆ど大伯・延陵季子と異なるかな」と。
現代語訳
「利害や権力に基づく結びつき(勢利の交わり)は、状況が変われば崩れる」——張耳と陳余の友情の悲劇を通して、人間関係の本質を鋭く見抜いた、司馬遷の総評の一段です。司馬遷はまず、二人が世に「賢者」と称えられ、その食客には天下の俊英が集まり、栄華を極めた事実を認めます。そして、彼らの関係の劇的な変化を対比します。「張耳と陳余は、二人がまだ貧しく困窮していた頃(約に居る時)は、互いに命を賭けて信じ合い、少しも疑うことがなかった。それなのに、国を得て権力を争うようになると、ついには互いを滅ぼし合った。なぜ、かつてはあれほど誠実に慕い合っていたのに、後にはあれほど激しく背き合ったのか」と。そして、その根本原因を、鋭く言い当てます。『豈に勢利を以て交はるに非ずや(それは、二人の交わりが、結局のところ「勢利(権勢と利益)」に基づくものだったからではないか)』。つまり、二人の友情は、真に相手の人格を敬い合う純粋なものではなく、互いの利用価値・利害の一致に支えられた結びつきだった。だから、逆境で利害が一致している間は固く結ばれていたが、権力という分けるべき利益が生じた瞬間に、崩れて敵対に転じたのだ、と。そして司馬遷は、こう結びます。「彼らは名声が高く、食客も多かったが、その拠り所(人間関係の本質)は、(真に清廉で、権力を譲り合った)呉の太伯や延陵の季子とは、まるで違っていた」と。ここに、人間関係についての極めて深い洞察があります。第一に、人間関係には、「勢利の交わり(利害・権力に基づく結びつき)」と、真の信頼・人格の敬愛に基づく結びつきがあり、両者は本質的に異なるということ。前者は、利害が一致する間は固く見えても、利害が対立すれば崩れる。後者は、利害を超えて持続する。第二に、その関係が本物かどうかは、逆境ではなく、むしろ「分けるべき利益・権力が生じたとき」に試されるということ。張耳と陳余は、逆境では固く結ばれたが、権力という利益の前で崩れた。共に苦労するときの結束より、成功して分配が問われるときの結束こそが、その関係の真価を測る。第三に、名声や規模(食客の多さ)は、関係の本質とは無関係だということ。組織や人間関係で、自分の周りの結びつきが、利害に基づく「勢利の交わり」なのか、真の信頼に基づくものなのかを見極めること、そしてその関係が本物かは利益や権力が絡んだときに試されると自覚すること——張耳と陳余への司馬遷の評は、人間関係の本質を見抜く鋭い視点を、私たちに与えてくれます。