史記 / 呂不韋列伝
始皇帝益壯、太后淫不止。呂不韋恐覺禍及己、乃私求大陰人嫪毐以為舍人、進於太后。始皇九年、有告嫪毐實非宦者、常與太后私亂。事覺、秦王誅嫪毐、夷三族。歲餘、免相國呂不韋。諸侯賓客使者相望於道、請文信侯。秦王恐其為變、乃賜文信侯書曰、君何功於秦、秦封君河南、食十萬戶。君何親於秦、號稱仲父。其與家屬徙處蜀。呂不韋自度稍侵、恐誅、乃飲酖而死。
新字:始皇帝益壮、太后淫不止。呂不韋恐覺禍及己、乃私求大陰人嫪毐以為舎人、進於太后。始皇九年、有告嫪毐実非宦者、常与太后私乱。事覺、秦王誅嫪毐、夷三族。歲余、免相国呂不韋。諸侯賓客使者相望於道、請文信侯。秦王恐其為変、乃賜文信侯書曰、君何功於秦、秦封君河南、食十万戶。君何親於秦、号稱仲父。其与家属徙処蜀。呂不韋自度稍侵、恐誅、乃飲酖而死。
書き下し
始皇帝益々壮んにして、太后淫止まず。呂不韋禍の己に及ぶを覚らるるを恐れ、乃ち私かに大陰人嫪毐を求めて舍人と為し、太后に進む。始皇九年、嫪毐の実は宦者に非ず、常に太后と私乱すと告ぐる有り。事覚れ、秦王嫪毐を誅し、三族を夷ぐ。歳余にして、相国呂不韋を免ず。諸侯の賓客使者道に相ひ望み、文信侯を請ふ。秦王其の変を為すを恐れ、乃ち文信侯に書を賜ひて曰く、「君何の功か秦に、秦君を河南に封じ、十万戸を食む。君何の親か秦に、号して仲父と称す。其れ家属と蜀に徙り処れ」と。呂不韋自ら稍く侵さるるを度り、誅を恐れ、乃ち酖を飲みて死す。
現代語訳
「絶頂を極めた者が、自ら招いた禍と権力者の猜疑によって、転落し滅びる」——呂不韋の劇的な失脚と最期を描いた一段です。相国・仲父として権勢の絶頂にあった呂不韋でしたが、その足元には危険が潜んでいました。彼は、太后(かつて自分が子楚に譲った女性)との関係が始皇帝に露見することを恐れ、その火消しのために、嫪毐という男を宦官と偽って太后のもとに送り込みます。これが致命的な失策でした。嫪毐は太后の寵愛を得て権勢を振るい、ついには反乱を企てて発覚。始皇帝は嫪毐を処刑し一族を皆殺しにし、その黒幕として呂不韋も相国の座を追われます。一度失脚しても、呂不韋の名声は絶大で、諸侯の使者が引きも切らず彼のもとを訪ねました。しかし、この衰えぬ影響力こそが、始皇帝の警戒を招きます。始皇帝は「呂不韋が反乱を起こすのでは」と恐れ、彼に手紙を送りつけました。「お前は秦に何の功績があって河南に封ぜられ十万戸の禄を食むのか。お前は秦に何の血縁があって仲父などと呼ばれるのか。一族を連れて(辺境の)蜀へ移り住め」と。かつて秦王を作り上げた大功労者への、あまりに冷酷な仕打ちでした。呂不韋は、このままではいずれ誅殺されると悟り、毒を飲んで自ら命を絶ちました。ここに、権力の絶頂に潜む危険についての痛切な教訓があります。第一に、自ら招いた火種(嫪毐を送り込んだこと)が、後に自分を滅ぼす禍になったこと。目先の問題(太后との関係の露見)を隠すための小細工が、より大きな災いを招いた。ごまかしや弥縫策は、しばしば事態を悪化させる。第二に、権力・名声が突出しすぎると、それ自体がトップの猜疑を招くこと。呂不韋の衰えぬ影響力(諸侯が慕う)が、かえって「反乱の恐れ」として始皇帝に警戒され、排除の理由となった。功臣ほど、力を持ちすぎてトップを脅かして見えることの危険を自覚すべきです。第三に、権力者の恩は移ろいやすいということ。呂不韋は始皇帝を王位に就けた最大の功労者でしたが、始皇帝は成長して権力を確立すると、その大恩ある呂不韋を、冷酷に切り捨てた。組織で、絶頂にあるときこそ、自ら火種を作らないこと、力を持ちすぎてトップを脅かさないよう自制すること、そして権力者の恩や信任は永続しないと心得ること——呂不韋の転落は、盈満の危うさと、権力の非情さを教えています。