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史記 / 魯仲連鄒陽列伝

秦將聞之、為卻軍五十里。適會魏公子無忌奪晉鄙軍以救趙、擊秦軍、秦軍遂引而去。於是平原君欲封魯連、魯連辭讓者三、終不肯受。平原君乃置酒、酒酣起前、以千金為魯連壽。魯連笑曰、所貴於天下之士者、為人排患釋難解紛亂而無取也。即有取者、是商賈之事也、而連不忍為也。遂辭平原君而去、終身不復見。

新字:秦将聞之、為卻軍五十里。適会魏公子無忌奪晉鄙軍以救趙、擊秦軍、秦軍遂引而去。於是平原君欲封魯連、魯連辞譲者三、終不肯受。平原君乃置酒、酒酣起前、以千金為魯連寿。魯連笑曰、所貴於天下之士者、為人排患釈難解紛乱而無取也。即有取者、是商賈之事也、而連不忍為也。遂辞平原君而去、終身不復見。

書き下し

秦の将之を聞き、為に軍を卻くること五十里。適々魏の公子無忌晋鄙の軍を奪ひて以て趙を救ひ、秦軍を撃つに会ひ、秦軍遂に引きて去る。是に於いて平原君魯連を封ぜんと欲す。魯連辞譲すること三たび、終に肯へて受けず。平原君乃ち酒を置き、酒酣にして起ちて前み、千金を以て魯連の寿を為す。魯連笑ひて曰く、「天下の士に貴ぶ所の者は、人の為に患ひを排し難を釈き紛乱を解きて取る無きなり。即し取る有らば、是れ商賈の事なり、而して連は忍びて為さざるなり」と。遂に平原君を辞して去り、身を終ふるまで復た見えず。

現代語訳

「人のために尽くして、見返りを求めない」——無私の高潔さを貫き、報酬も名誉も辞退して去った魯仲連の、清々しい生き方を描いた一段です。魯仲連の気迫で、秦の将は軍を五十里も退き、折よく信陵君の救援も重なって、趙は危機を脱しました。魯仲連の働きは、趙を救った大功です。趙を救われた平原君は、感謝して魯仲連に領地を与えようとしますが、魯仲連は三度も固辞して、決して受け取りませんでした。平原君が酒宴を開き、千金を贈って長寿を祝おうとすると、魯仲連は笑ってこう言いました。「天下の(真の)士が尊いのは、人のために患いを取り除き、困難を解決し、争乱を鎮めながら、その見返りを受け取らないからです。もし見返りを受け取れば、それは商人の取引と同じこと。私にはそんなことはできません」。そして平原君のもとを去り、生涯二度と姿を現しませんでした。ここに、無私と高潔さの理想があります。第一に、人のために尽くして、見返りを求めない純粋さ。魯仲連は、大功を立てながら、領地も金も名誉も一切受け取らなかった。人助けを「取引」にせず、無償の行為として貫いたのです。この無私の姿勢こそが、彼を「商人」ではなく「天下の士」たらしめている。見返りを期待した親切は打算であり、見返りを求めない行為こそが、真の高潔さを示す。第二に、報酬や地位に執着せず、潔く去る自由。魯仲連は、栄誉を得られる立場になっても、それに縛られず、あっさりと去った。功績を誇って地位にしがみつくのではなく、なすべきことをなしたら静かに立ち去る——この執着のなさが、彼の生き方を清々しいものにしている。組織や人間関係で、人のために尽くすとき、それを見返りやアピールの手段にせず無償で行えるか、そして功績を挙げても、それに執着せず潔くいられるか——魯仲連の無私の生き方は、現代の損得勘定の世界において、かえって際立つ高潔さの理想を示しています。もちろん、対価を得ることが悪いわけではありませんが、時に見返りを求めない行為の純粋さが、人の心を深く打つのです。

解説

あなたは、人のために尽くすとき、それを見返りやアピールの手段にせず、無償の行為として行えていますか?功績を挙げても、それに執着せず、地位や報酬にしがみつかずにいられますか?見返りを求めない行為の純粋さが、かえって人の心を打つと理解していますか?

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