史記 / 廉頗藺相如列伝
廉頗之免長平歸也、失勢之時、故客盡去。及復用為將、客又復至。廉頗曰、客退矣。客曰、吁、君何見之晚也。夫天下以市道交、君有勢、我則從君、君無勢則去、此固其理也、有何怨乎。
新字:廉頗之免長平帰也、失勢之時、故客尽去。及復用為将、客又復至。廉頗曰、客退矣。客曰、吁、君何見之晩也。夫天下以市道交、君有勢、我則従君、君無勢則去、此固其理也、有何怨乎。
書き下し
廉頗の長平より免ぜられて帰るや、勢を失ふの時、故客尽く去る。復た用ゐられて将と為るに及び、客又復た至る。廉頗曰く、「客退け」と。客曰く、「吁、君何ぞ之を見るの晩きや。夫れ天下は市道を以て交はる、君勢有れば、我則ち君に従ひ、君勢無ければ則ち去る、此れ固より其の理なり、何の怨みか有らん」と。
現代語訳
廉頗が長平の一件で職を解かれて帰り、勢いを失っていたとき、昔からの食客はみな去っていった。ふたたび用いられて将軍になると、食客はまた戻ってきた。廉頗は言った。「客ども、去れ」。ある客が言った。「ああ、あなたはなんと悟りが遅いのか。そもそも天下の人は市場の道理で交わるのです。あなたに勢いがあれば、私はあなたに従い、勢いがなければ去る。もとよりそういう理屈です。何を怨むことがありましょう」。
解説
「人が寄り集まり離れていくのは、多くの場合『損得』という市場の論理による」——人間関係の冷徹な現実を、あっけらかんと言い切る食客の言葉で示した一段です。名将・廉頗が長平の一件で失脚して勢いを失うと、それまで群がっていた食客たちは、たちまち全員去っていきました。ところが廉頗が再び将軍に返り咲くと、食客たちはまた戻ってきます。廉頗が「(調子のいい)お前たちは出て行け」と憤ると、一人の食客が悪びれずに言い返しました。「ああ、あなたはなんと物わかりが悪いのか。そもそも世の中の人付き合いは、市場での取引(市道)と同じですよ。あなたに勢いがあれば付き従い、勢いがなくなれば去る。これは当たり前の道理で、恨むようなことでは何もないでしょう」と。この食客は、人間関係が損得で動くことを、隠しもせず、当然のこととして語ったのです。ここに、人間関係についての冷静な洞察があります。第一に、人が寄り集まり離れていく多くは、その人個人への愛情や忠誠ではなく、「そこに利があるか」という損得の論理で動く、という現実。順境で群がった人が、逆境で去るのは、裏切りというより、市場的な取引の性質にすぎない。第二に、この現実を、恨みや幻滅として抱え込むのか、それとも冷静に受け入れるのか、という態度の問題。孟嘗君の食客・馮驩も同じことを説きましたが、この現実に憤って人を恨み続ければ、心は休まらず、人も戻ってこない。「そういうものだ」と割り切って受け入れる方が、賢明で楽なのです。第三に、逆に言えば、損得を超えて、勢いを失ったときにも変わらず付き従ってくれる人こそ、真に貴重だということ。市道の交わりが大半である中で、利害を超えた信義で結ばれた関係(前段の刎頸の交わりのような)は、得がたい宝です。組織やキャリアで、地位や勢いに応じて人が集まり離れるのは自然なこと。それをいちいち恨まず冷静に受け止めること、そして、損得を超えて付き合える少数の真の信頼関係を大切にすること——この食客の身も蓋もない言葉は、人間関係の現実を見据える成熟した視点を教えます。
この章句が説くこと
廉頗市道の交わり人の離合は損得恨まず受け入れる順逆と人間関係真の信義
関連する章句
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