史記 / 廉頗藺相如列伝
趙括自少時學兵法、言兵事、以天下莫能當。嘗與其父奢言兵事、奢不能難、然不謂善。括母問奢其故、奢曰、兵、死地也、而括易言之。使趙不將括即已、若必將之、破趙軍者必括也。及括將行、其母上書言於王曰、括不可使將。王曰、何以。對曰、始妾事其父、時為將、所奉飯而進食者以十數、所友者以百數、大王所賞賜者盡以予軍吏、受命之日、不問家事。今括一旦為將、東向而朝、軍吏無敢仰視之者、王所賜金帛、歸藏於家、而日視便利田宅可買者買之。王以為何如其父。願王勿遣。王不聽。趙括既代廉頗、悉更約束。秦將白起聞之、遂大破趙括軍於長平、卒四十餘萬皆阬之。
新字:趙括自少時学兵法、言兵事、以天下莫能当。嘗与其父奢言兵事、奢不能難、然不謂善。括母問奢其故、奢曰、兵、死地也、而括易言之。使趙不将括即已、若必将之、破趙軍者必括也。及括将行、其母上書言於王曰、括不可使将。王曰、何以。対曰、始妾事其父、時為将、所奉飯而進食者以十数、所友者以百数、大王所賞賜者尽以予軍吏、受命之日、不問家事。今括一旦為将、東向而朝、軍吏無敢仰視之者、王所賜金帛、帰蔵於家、而日視便利田宅可買者買之。王以為何如其父。願王勿遣。王不聴。趙括既代廉頗、悉更約束。秦将白起聞之、遂大破趙括軍於長平、卒四十余万皆阬之。
書き下し
趙括少き時より兵法を学び、兵事を言ひ、天下能く当たる莫しと以ふ。嘗て其の父奢と兵事を言ふに、奢難ずる能はず、然れども善しと謂はず。括の母其の故を問ふ。奢曰く、「兵は死地なり、而して括之を易く言ふ。趙をして括を将とせざらしめば即ち已む、若し必ず之を将とせば、趙軍を破る者は必ず括ならん」と。括将に行かんとするに及び、其の母書を上りて王に言ひて曰く、「括将たらしむ可からず」と。王曰く、「何を以て」と。対へて曰く、「始め妾其の父に事へしとき、将為り、飯を奉じて食を進むる所の者十を以て数へ、友とする所の者百を以て数へ、大王の賞賜する所の者尽く以て軍吏に予へ、命を受くるの日、家事を問はず。今括一旦将と為り、東向して朝すれば、軍吏敢て之を仰ぎ視る者無く、王の賜ふ所の金帛、帰りて家に蔵し、日々便利の田宅の買ふ可き者を視て之を買ふ。王以て其の父に何如と為す。願はくは王遣る勿かれ」と。王聴かず。趙括既に廉頗に代はり、悉く約束を更む。秦の将白起之を聞き、遂に大いに趙括の軍を長平に破り、卒四十余万皆之を阬にす。
現代語訳
趙括は若いころから兵法を学び、軍事を論じては、天下に自分にかなう者はいないと思っていた。かつて父の趙奢と軍事を論じたとき、奢は言い負かすことができなかった。それでも良いとは言わなかった。括の母がその理由を尋ねた。奢は言った。「戦とは死地である。それを括は軽々しく語る。趙が括を将軍にしないのならそれでよい。だがもし将軍にすれば、趙軍を滅ぼす者は必ず括だろう」。括が出陣しようとするとき、その母は王に上書して言った。「括を将軍にしてはなりません」。王は言った。「なぜか」。母は答えた。「私がはじめ父親(趙奢)に仕えたころ、彼は将軍でしたが、自分で食事を運んで振る舞った相手は数十人、友としてつきあった相手は数百人。大王から賜った褒美はことごとく部下の将校に分け与え、出陣の命を受けた日からは家のことを一切口にしませんでした。ところが今、括はにわかに将軍となり、東向きに座って部下の礼を受けると、将校は誰一人まともに顔を見上げることができません。王が賜った金や絹は持ち帰って家に蓄え、毎日、割のよい田畑や屋敷を物色しては買い込んでおります。王は、これが父親と比べてどうだとお思いですか。どうか王よ、遣わさないでください」。王は聞き入れなかった。趙括は廉頗に代わると、軍規をすべて改めた。秦の将・白起はこれを聞き、ついに長平で趙括の軍を大破し、四十余万の兵をことごとく生き埋めにした。
解説
この章句が説くこと
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