史記 / 楽毅列伝
太史公曰、始齊之蒯通及主父偃讀樂毅之報燕王書、未嘗不廢書而泣也。樂臣公學黃帝老子、其本師號曰河上丈人、不知其所出。河上丈人教安期生、安期生教毛翕公、毛翕公教樂瑕公、樂瑕公教樂臣公、樂臣公教蓋公。蓋公教於齊高密膠西、為曹相國師。
新字:太史公曰、始斉之蒯通及主父偃読楽毅之報燕王書、未嘗不廃書而泣也。楽臣公学黄帝老子、其本師号曰河上丈人、不知其所出。河上丈人教安期生、安期生教毛翕公、毛翕公教楽瑕公、楽瑕公教楽臣公、楽臣公教蓋公。蓋公教於斉高密膠西、為曹相国師。
書き下し
太史公曰く、「始め斉の蒯通及び主父偃、楽毅の燕王に報ずるの書を読み、未だ嘗て書を廃して泣かずんばあらざるなり。楽臣公黄帝・老子を学び、其の本師号して河上丈人と曰ふ、其の出づる所を知らず。河上丈人安期生を教へ、安期生毛翕公を教へ、毛翕公楽瑕公を教へ、楽瑕公楽臣公を教へ、楽臣公蓋公を教ふ。蓋公斉の高密・膠西に教へ、曹相国の師と為る」と。
現代語訳
太史公は言う。「かつて斉の蒯通や主父偃は、楽毅が燕王に返した手紙を読んで、書物を置いて泣かずにはいられなかったという。楽臣公は黄帝と老子の学を修めた。その大もとの師は河上丈人と号したが、その出自はわからない。河上丈人は安期生を教え、安期生は毛翕公を教え、毛翕公は楽瑕公を教え、楽瑕公は楽臣公を教え、楽臣公は蓋公を教えた。蓋公は斉の高密・膠西で教え、丞相の曹参の師となった」。
解説
「真に優れた文章・生き方は、時代を超えて人の心を打ち、その精神は脈々と受け継がれる」——楽毅の遺した「報燕王書」への深い敬意と、思想の継承を記した、篇を締めくくる一段です。司馬遷はまず、楽毅の手紙(報燕王書)が後世に与えた感動を伝えます。斉の蒯通や、漢の主父偃といった後世の人々が、この手紙を読むたびに、必ず本を置いて涙を流した、と。讒言で追われながら、恨み言を並べるのではなく、亡き先王への感謝と、去り際の品格を貫いた楽毅の言葉が、時代を超えて読む者の胸を打ったのです。真に優れた文章・生き方は、その場限りのものではなく、後世の人々の心を動かし続ける——文章と人格の永続的な力が、ここに示されています。次いで司馬遷は、楽毅の一族に連なる楽臣公が、黄帝・老子の学問を修め、その学統が河上丈人から安期生、そして代々受け継がれて、最終的に漢の名宰相・曹参の師(蓋公)にまで至った系譜を記します。楽毅個人の武功や生き方だけでなく、その一族が担った思想・学問の流れが、後世の政治にまで影響を与えたことを示しているのです。ここに、二つの示唆があります。第一に、優れた言葉・生き方は、時代を超えて人を感動させ、影響を与え続けるということ。楽毅は、目先の恨みに任せて相手を罵ることもできましたが、品格を保った。その選択が、後世まで敬愛される名文と名声を遺した。逆に言えば、その場の感情に任せた言動は、後世に恥を残しかねない。第二に、一個人の功績や精神は、本人一代で終わらず、後継者や一族、弟子を通じて受け継がれ、長く社会に影響を及ぼすということ。楽毅一族の学統が、漢の名宰相の師にまでつながった系譜は、知や精神の継承の大きさを物語ります。組織や人生で、その場の感情ではなく、後世に遺るような品格ある言動を選ぶこと、そして自分の遺す精神・知・価値が、後継者を通じて長く受け継がれていくことを意識すること——楽毅の名文と、その思想の系譜が、その普遍の価値を教えています。
この章句が説くこと
太史公評報燕王書時代を超える名文品格ある生き方思想の継承後世への影響
関連する章句
-
史記 楽毅列伝功立ちて廃せず、故に春秋に著る。蚤知の士は、名成りて毀れず、故に後世に称せらる。先王の怨みに報い恥を雪ぎ、万乗の彊国を夷らげ、八百歳の蓄積を収め、群臣を棄つるの日に及ぶまで、余教未だ衰へず、政を執り事に任ずるの臣、法令を修め、庶孽を慎み、施して萌隷に及ぶが若きは、皆以て後世に教ふべし。
-
史記 楽毅列伝臣聞く、古の君子は、交はり絶ゆるとも悪声を出さず、忠臣国を去るとも其の名を絜(きよ)くせず、と。臣不佞と雖も、数々君子に教を奉ず。侍御者の左右の説に親しみ、疏遠の行を察せざるを恐る、故に敢て書を献じて以て聞す、唯だ君王の留意せんことを。是に於いて燕王復た楽毅の子楽閒を以て昌国君と為す。而して楽毅往来して復た燕に通じ、燕趙以て客卿と為す。楽毅趙に卒す。
-
史記 楽毅列伝臣不佞にして、王命を奉承して以て左右の心に順ふ能はず、先王の明を傷つけ、足下の義を害する有らんことを恐る、故に遁逃して趙に走る。今、足下人をしてこれを数むるに罪を以てせしむ、臣恐る、侍御する者の先王の臣を畜幸せし所以の理を察せず、また臣の先王に事へし所以の心を白らかにせざらんことを、故に敢へて書を以て対ふ。
-
史記 楽毅列伝臣聞く、賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能当たる者はこれに処らしむ。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、立名の士なり。臣竊かに先王の挙を観るに、世主より高きの心有るを見る、故に節を魏に仮りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過りて挙げ、これを賓客の中に廁へ、これを群臣の上に立て、父兄に謀らずして、以て亜卿と為す。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく令を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、故に令を受けて辞せず。先王これに命じて曰く、「我に斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す」と。臣曰く、「夫れ斉は霸国の余業にして最勝の遺事なり。兵甲に練れ、戦攻に習ふ。王若しこれを伐たんと欲せば、必ず天下と与にこれを図れ。天下と与にこれを図らば、趙に結ぶに若くは莫し。且つまた淮北・宋の地は、楚・魏の欲する所なり、趙若し許して四国に約してこれを攻めば、斉大いに破るべきなり」と。先王以て然りと為し、符節を具へて南のかた臣を趙に使はす。顧みて反命し、兵を起こして斉を撃つ。天の道、先王の霊を以て、河北の地先王に随ひてこれを済上に挙ぐ。済上の軍命を受けて斉を撃ち、大いに斉人を敗る。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝車甲珍器、尽く収めて燕に入る。斉の器は寧台に設けられ、大呂は元英に陳ねられ、故鼎は磿室に反り、薊丘の植は汶篁に植う。五伯より已来、功の未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊しと為し、故に地を裂きてこれを封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく命を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、是を以て命を受けて辞せず。臣聞く、賢聖の君は、
-
史記 楽毅列伝楽閒燕に居ること三十余年、燕王喜その相栗腹の計を用ひ、趙を攻めんと欲して、昌国君楽閒に問ふ。楽閒曰く、「趙は四戦の国なり、その民は兵に習ふ、これを伐つは不可なり」と。燕王聴かず、遂に趙を伐つ。趙、廉頗をしてこれを撃たしめ、大いに栗腹の軍を鄗に破り、栗腹・楽乗を禽にす。楽乗は楽閒の宗なり。是に於いて楽閒趙に奔り、趙遂に燕を囲む。燕重く地を割きて以て趙と和す、趙乃ち解きて去る。燕王、楽閒を用ひざりしを恨み、楽閒既に趙に在り、乃ち楽閒に書を遺りて曰く、「紂の時、箕子用ひられず、犯諫して怠らず、以てその聴かんことを冀ふ。商容達せず、身祇だ辱めらる、以てその変ぜんことを冀ふ。民の志入らず、獄囚自ら出づるに及び、然る後に二子退隠す。故に紂は桀暴の累を負ひ、二子は忠聖の名を失はず。何となれば、その憂患の尽くせばなり。今、寡人愚なりと雖も、紂の暴に若かざるなり。燕の民乱ると雖も、殷の民の甚だしきに若かざるなり。室に語有り、相尽くさずして、以て隣里に告ぐ。二者、寡人は君の為に取らざるなり」と。楽閒・楽乗、燕のその計を聴かざるを怨み、二人卒に趙に留まる。趙、楽乗を封じて武襄君と為す。その明年、楽乗・廉頗、趙の為に燕を囲む、燕、礼を重くして以て和し、乃ち解く。後五歳、趙の孝成王卒す。襄王、楽乗をして廉頗に代はらしむ。廉頗楽乗を攻む、楽乗走り、廉頗亡げて魏に入る。その後十六年にして秦趙を滅ぼす。その後二十余年、高帝趙を過ぎ、問ふ、「楽毅に後世有るか」と。対へて曰く、「楽叔有り」と。高帝これを楽卿に封じ、号して華成君と曰ふ。華成君は楽毅の孫なり。而して楽氏の族に楽瑕公・楽臣公有り、趙且に秦の滅ぼす所と為らんとするや、亡げて斉の高密に之く。楽臣公は善く黄帝・老子の言を修め、斉に顕聞し、賢師と称せらる。
-
史記 楽毅列伝楽毅は、その先祖を楽羊と曰ふ。楽羊は魏の文侯の将と為り、伐ちて中山を取る、魏の文侯、楽羊を封ずるに霊寿を以てす。楽羊死し、霊寿に葬る、その後子孫因りて焉に家す。中山国を復し、趙の武霊王の時に至りてまた中山を滅ぼす、而して楽氏の後に楽毅有り。楽毅賢にして、兵を好み、趙人これを挙ぐ。武霊王に沙丘の乱有るに及び、乃ち趙を去りて魏に適く。燕の昭王の子之の乱を以て斉大いに燕を敗り、燕の昭王斉を怨み、未だ嘗て一日も斉に報ゆることを忘れざるを聞く。燕国は小さく、辟遠にして、力制する能はず、是に於いて身を屈して士に下り、先づ郭隗を礼して以て賢者を招く。楽毅是に於いて魏の昭王の為に燕に使ひす、燕王客礼を以てこれを待す。楽毅辞譲し、遂に質を委ねて臣と為る、燕の昭王以て亜卿と為し、これを久しくす。是の時に当たり、斉の湣王彊く、南のかた楚の相唐眛を重丘に敗り、西のかた三晋を観津に摧き、遂に三晋と秦を撃ち、趙を助けて中山を滅ぼし、宋を破り、地を広むること千余里。秦の昭王と重きを争ひて帝と為り、已にしてまたこれを帰す。諸侯皆秦に背きて斉に服せんと欲す。湣王自ら矜り、百姓堪へず。是に於いて燕の昭王、斉を伐つの事を問ふ。楽毅対へて曰く、「斉は霸国の余業なり、地大にして人衆く、未だ独り攻め易からざるなり。王必ずこれを伐たんと欲せば、趙及び楚・魏と与にするに如くは莫し」と。是に於いて楽毅をして趙の恵文王に約せしめ、別に使ひをして楚・魏に連ならしめ、趙をして秦に説くに斉を伐つの利を以てせしむ。諸侯は斉の湣王の驕暴を害とし、皆争ひて合従して燕と斉を伐つ。楽毅還りて報ず、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る