史記 / 春申君列伝
後十七日、楚考烈王卒、李園果先入、伏死士於棘門之內。春申君入棘門、園死士俠刺春申君、斬其頭、投之棘門外。於是遂使吏盡滅春申君之家。而李園女弟初幸春申君有身而入之王所生子者遂立、是為楚幽王。
新字:後十七日、楚考烈王卒、李園果先入、伏死士於棘門之内。春申君入棘門、園死士侠刺春申君、斬其頭、投之棘門外。於是遂使吏尽滅春申君之家。而李園女弟初幸春申君有身而入之王所生子者遂立、是為楚幽王。
書き下し
後十七日、楚の考烈王卒し、李園果たして先づ入り、死士を棘門の内に伏す。春申君棘門に入るや、園の死士春申君を俠刺し、其の頭を斬りて、之を棘門の外に投ず。是に於いて遂に吏をして尽く春申君の家を滅ぼさしむ。而して李園の女弟初め春申君に幸せられ身有りて之を王に入れて生む所の子遂に立つ、是を楚の幽王と為す。
現代語訳
十七日後、楚の考烈王が死んだ。李園は果たして先に宮中へ入り、決死の士を棘門の内に伏せておいた。春申君が棘門に入ると、李園の刺客が春申君を挟み撃ちにして刺し殺し、その首を斬って棘門の外に投げ捨てた。そのうえ役人を差し向けて、春申君の一族をことごとく滅ぼした。そして、李園の妹が、はじめ春申君の寵を受けて身ごもり、それを王に入れて産んだ子が、そのまま即位した。これが楚の幽王である。
解説
「警告を無視した油断が、そのまま予言通りの破滅として現実になる」——春申君の悲劇的な最期を描いた、因果の結末の一段です。楚王が亡くなると、朱英が警告した通りのことが、寸分違わず起こりました。李園は真っ先に宮中に入り、門の内側に刺客(決死隊)を潜ませて待ち伏せる。何も知らない春申君がその門をくぐると、刺客たちが襲いかかって彼を刺し殺し、首を斬って門の外へ投げ捨てました。さらに李園は、役人を使って春申君の一族をことごとく滅ぼしたのです。かつて権勢を極め、二十五年にわたって楚の宰相を務めた戦国四君の一人が、たった十七日前に受けた警告を「まさか」と退けたばかりに、無防備なまま暗殺され、一族もろとも滅ぼされた。そして皮肉なことに、春申君が李園の妹を通じて楚王に献上し、生まれた子(実は春申君自身の子)が、そのまま楚王(幽王)として即位しました。春申君は、他人の陰謀の道具にされ、利用され尽くした挙げ句に、口封じのために消されたのです。ここに、痛烈な教訓が凝縮されています。第一に、警告や忠告を「まさか」と退けることの代償の大きさ。朱英の警告は正確無比でした。もし春申君が耳を傾け、わずかな備え(護衛を置く)をしていれば、この破滅は防げたはずです。危機の予兆を軽んじた油断は、時に命と一族の運命を奪います。第二に、私欲につけ込まれ、他人の計略の道具にされることの末路。春申君は、自分の権勢を保とうという欲から李園の計略に乗り、結果的に利用され、用済みになると殺された。相手の筋書きに乗せられた者は、その筋書きが完成したとき、真っ先に処分される。第三に、絶頂からの転落の速さ。二十五年の権勢が、十七日後には無に帰した。組織やリーダーにとって、この結末は重い警鐘です。的確な警告には謙虚に耳を傾け、油断を戒め、最悪に備えること。そして、うまい話や私欲を通じて他人の計略に取り込まれていないかを、常に警戒すること。春申君ほどの英傑でさえ、その油断ゆえに悲惨な最期を迎えたのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
春申君の最期警告無視の代償予言通りの破滅他人の道具にされる末路油断絶頂からの転落
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