史記 / 魏公子列伝
太史公曰、吾過大梁之墟、求問其所謂夷門。夷門者、城之東門也。天下諸公子亦有喜士者矣、然信陵君之接巖穴隱者、不恥下交、有以也。名冠諸侯、不虛耳。高祖每過之而令民奉祠不絕也。
新字:太史公曰、吾過大梁之墟、求問其所謂夷門。夷門者、城之東門也。天下諸公子亦有喜士者矣、然信陵君之接巖穴隠者、不恥下交、有以也。名冠諸侯、不虚耳。高祖毎過之而令民奉祠不絶也。
書き下し
太史公曰く、「吾大梁の墟を過ぎ、其の所謂夷門を求問す。夷門は、城の東門なり。天下の諸公子も亦た士を喜ぶ者有り、然れども信陵君の巌穴の隠者に接し、下交を恥ぢざるは、以有るなり。名諸侯に冠たるは、虚しからざるのみ。高祖過ぐる每に民をして祠を奉じて絶えざらしむるなり」と。
現代語訳
太史公は言う。「私は大梁の廃墟を通り、いわゆる夷門はどこかと尋ねた。夷門とは城の東門である。天下の公子たちにも士を好んだ者はいる。しかし信陵君が山野に隠れた者にまで自ら会い、身分の低い者と交わることを恥じなかったのには、それだけの理由がある。その名が諸侯に冠たるものであったのは、虚名ではない。高祖は大梁を通るたびに、民に祠を守らせ、その祭りを絶やさせなかった」。
解説
歴史家・司馬遷が、実地を訪ねてまで敬意を表し、信陵君の卓越した点を明確に見定めた、篇を締めくくる一段です。司馬遷は、信陵君ゆかりの地・大梁の廃墟を訪れ、あの侯嬐が門番をしていた「夷門(東門)」の場所を、わざわざ人に尋ねて確かめました。歴史上の人物への、この実地を踏んでの深い敬意が、まず印象的です。そして司馬遷は、信陵君の何がそれほど傑出していたのかを、明確に言い当てます。「戦国の四君(孟嘗君・平原君・春申君・信陵君)をはじめ、人材を好んで集めた貴公子は他にもいた。しかし、信陵君が、洞窟に隠れ住むような(=身分の低い、世に埋もれた)隠者にまで自ら接し、身分の低い者と交わることを少しも恥じなかった——ここにこそ、彼が抜きん出ていた理由がある」。他の四君も食客を厚遇しましたが、多くは有名な士や役に立つ人材を集めたのに対し、信陵君は、賭博場の毛公や酒屋の薛公のような、世間が見向きもしない市井の賢者にまで、へりくだって教えを乞うた。この「不恥下交(身分の低い者と交わることを恥じない)」の徹底こそが、彼を戦国四君の筆頭たらしめた本質だ、と司馬遷は見抜いたのです。その証拠に、信陵君の名声は諸侯の中で群を抜き、後の漢の高祖(劉邦)でさえ、大梁を通るたびに、民に命じて信陵君を祀り続けさせたほどでした。ここに、リーダーの器を測る本質的な基準があります。人材を「集める」だけなら、多くの権力者ができる。しかし、真に人を惹きつけるのは、相手の身分・立場・世間体にかかわらず、埋もれた才能や見識に、心から敬意を払い、へりくだって接することができるかどうかです。信陵君の徳は、有名人や有用な人材を優遇したことではなく、誰からも軽んじられる人にまで敬意を尽くした、その一貫した謙虚さにありました。組織のリーダーにとって、人望とは、地位や華やかな人脈ではなく、最も見過ごされがちな人にまで示す敬意の深さから生まれる——時代を超えて敬愛された信陵君の生涯が、その普遍の真理を教えています。
この章句が説くこと
太史公評信陵君不恥下交身分の低い者への敬意埋もれた人材戦国四君の筆頭
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