史記 / 平原君虞卿列伝
太史公曰、平原君、翩翩濁世之佳公子也、然未睹大體。鄙語曰、利令智昏。平原君貪馮亭邪說、使趙陷長平兵四十餘萬眾、邯鄲幾亡。虞卿料事揣情、為趙畫策、何其工也。及不忍魏齊、卒困於大梁、庸夫且知其不可、況賢人乎。然虞卿非窮愁、亦不能著書以自見於後世云。
新字:太史公曰、平原君、翩翩濁世之佳公子也、然未睹大体。鄙語曰、利令智昏。平原君貪馮亭邪説、使趙陥長平兵四十余万衆、邯鄲幾亡。虞卿料事揣情、為趙画策、何其工也。及不忍魏斉、卒困於大梁、庸夫且知其不可、況賢人乎。然虞卿非窮愁、亦不能著書以自見於後世云。
書き下し
太史公曰く、「平原君は、翩翩たる濁世の佳公子なり、然れども未だ大体を睹ず。鄙語に曰く、利は智を昏くす、と。平原君馮亭の邪説を貪り、趙をして長平に陥れ兵四十余万衆、邯鄲幾ど亡ぼす。虞卿事を料り情を揣り、趙の為に策を画す、何ぞ其れ工なる。魏齊を忍びざるに及び、卒に大梁に困しむ、庸夫すら且つ其の不可を知る、況んや賢人をや。然れども虞卿窮愁に非ずんば、亦た書を著して以て後世に自ら見はす能はざるなりと云ふ」と。
現代語訳
太史公は言う。「平原君は、風采のよい、濁世の立派な公子であった。しかし大局を見ることはできなかった。俗にこう言う。利は智恵を曇らせる、と。平原君は馮亭の甘言をむさぼり、趙を長平の敗戦に陥れて四十余万の兵を失い、邯鄲は危うく落ちるところだった。虞卿は事態を見積もり、人情を推し量り、趙のために策を立てた。なんと巧みなことか。しかし魏齊を見捨てるに忍びず、ついに大梁で困窮した。凡人ですらそれが得策でないことは知っている。まして賢人ならなおさらだ。とはいえ、虞卿が困窮と憂愁に沈まなければ、書物を著して後世に自らを示すこともできなかった、とも言われている」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』昏智太史公曰く「平原君は、翩翩たる濁世の佳公子なり。然れども大体を覩ず。語に曰く『利は智をして昏からしむ』と。平原君、馮亭の邪説を貪り、趙をして長平に四十余万を陥らしめ、邯鄲幾ど亡ぶ」と。此れ利に昏き者なり。〔人物志に曰く「夫れ仁は慈より出づ。慈有りて仁ならざる者有り。仁なる者は恤有り。仁有りて恤まざる者有り。厲なる者は剛有り。厲有りて剛ならざる者有り。若し夫れ憐れむべきを見れば則ち流涕し、将に分与せんとすれば則ち恡嗇なるは、是れ慈有りて仁ならざる者なり。危急を覩れば則ち惻隠し、将に赴き救わんとすれば則ち患いを畏るるは、是れ仁有りて恤まざる者なり。虚義に処れば則ち色厲しく、利欲を顧みれば則ち内荏なるは、是れ厲有りて剛ならざる者なり。然らば則ち慈にして仁ならざるは、則ち恡之を奪うなり。仁にして恤まざるは、則ち懼之を奪うなり。厲にして剛ならざるは、則ち欲之を奪うなり」と。〕
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史記 平原君虞卿列伝而して魏、従を為さんことを請ふ。趙の孝成王、虞卿を召して謀る。平原君に過る、平原君曰く、「願はくは卿の従を論ぜんことを」と。虞卿入りて王に見ゆ。王曰く、「魏、従を為さんことを請ふ」と。対へて曰く、「魏過てり」と。王曰く、「寡人固より未だこれを許さず」と。対へて曰く、「王過てり」と。王曰く、「魏従を請ふ、卿は魏過てりと曰ふ。寡人未だこれを許さず、また寡人過てりと曰ふ。然らば則ち従は終に不可なるか」と。対へて曰く、「臣聞く、小国の大国と事に従ふや、利有らば則ち大国その福を受け、敗有らば則ち小国その禍を受くと。今、魏は小国を以てその禍を請ひ、而して王は大国を以てその福を辞す。臣故に王過てり、魏も亦過てりと曰ふ。竊かに以為へらく従は便なり」と。王曰く、「善し」と。乃ち魏と合して従を為す。虞卿既に魏斉の故を以て、万戸侯・卿相の印を重んぜず、魏斉と閒行し、卒に趙を去り、梁に困しむ。魏斉已に死し、意を得ず、乃ち書を著し、上は春秋を採り、下は近世を観、節義・称号・揣摩・政謀と曰ふ、凡そ八篇。以て国家の得失を刺譏す、世これを伝へて虞氏春秋と曰ふ。
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史記 平原君虞卿列伝公孫竜これを聞き、夜駕して平原君に見えて曰く、「竜聞く、虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て君の為に封を請はんと欲すと、これ有るか」と。平原君曰く、「然り」と。竜曰く、「此れ甚だ不可なり。且つ王の君を挙げて趙に相たらしむる者は、君の智能を以て趙国に有ること無しと為すに非ざるなり。東武城を割きて君を封ずる者は、君を以て功有りと為すに非ざるなり、而して国人勲無きを以て、乃ち君を以て親戚と為すの故なり。君の相印を受けて無能を辞せず、地を割かれて無功を言はざる者も、また自ら以て親戚の故と為せばなり。今、信陵君邯鄲を存して封を請ふは、是れ親戚城を受けて国人功を計るなり。此れ甚だ不可なり。且つ虞卿はその両権を操る、事成らば、右券を操りて以て責め、事成らずんば、虚名を以て君に徳とせられん。君必ず聴くこと勿かれ」と。平原君遂に虞卿に聴かず。平原君、趙の孝成王の十五年を以て卒す。子孫代はり、後に竟に趙と倶に亡ぶ。平原君、公孫竜を厚く待す。公孫竜は善く堅白の弁を為す、鄒衍の趙を過ぎりて至道を言ふに及び、乃ち公孫竜を絀く。
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史記 平原君虞卿列伝虞卿は、遊説の士なり。蹻を躡み簦を檐ひて趙の孝成王に説く。一たび見えて、黄金百鎰・白璧一双を賜はる。再び見えて、趙の上卿と為る、故に号して虞卿と為す。秦・趙、長平に戦ひ、趙勝たず、一都尉を亡ふ。趙王、楼昌と虞卿とを召して曰く、「軍戦ひて勝たず、尉また死す。寡人、甲を束ねてこれに趨かしめんとす、何如」と。楼昌曰く、「益無きなり。重使を発して媾を為すに如かず」と。虞卿曰く、「昌の媾を言ふ者は、以為へらく媾せずんば軍必ず破れんと。而して媾を制する者は秦に在り。且つ王の秦を論ずるや、趙の軍を破らんと欲するか、不や」と。王曰く、「秦は余力を遺さず、必ず且に趙の軍を破らんと欲す」と。虞卿曰く、「王、臣に聴き、使ひを発し重宝を出だして以て楚・魏に附けよ。楚・魏は王の重宝を得んと欲し、必ず吾が使ひを内れん。趙の使ひ楚・魏に入らば、秦必ず天下の合従を疑ひ、且つ必ず恐れん。此くの如くんば、則ち媾乃ち為すべきなり」と。趙王聴かず、平陽君と媾を為し、鄭朱を発して秦に入れしむ。秦これを内る。趙王、虞卿を召して曰く、「寡人、平陽君をして媾を秦に為さしむ、秦已に鄭朱を内れたり、卿の為は奚如」と。虞卿対へて曰く、「王、媾を得ずして、軍必ず破れん。天下の戦ひを賀する者は皆秦に在り。鄭朱は貴人なり、秦に入らば、秦王と応侯と必ず顕重して以て天下に示さん。楚・魏は趙を以て媾を為すと為し、必ず王を救はず。秦、天下の王を救はざるを知らば、則ち媾は得て成るべからざるなり」と。応侯果たして鄭朱を顕かにして以て天下の戦勝を賀する者に示し、終に媾を肯んぜず。長平大いに敗れ、遂に邯鄲を囲まれ、天下の笑ひと為る。秦既に邯鄲の囲みを解き、而して趙王入朝し、趙郝をして事を秦に約せしめ、六県を割きて媾せんとす。
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