史記 / 平原君虞卿列伝
而魏請爲從。趙孝成王召虞卿謀。過平原君,平原君曰:「願卿之論從也。」虞卿入見王。王曰:「魏請爲從。」對曰:「魏過。」王曰:「寡人固未之許。」對曰:「王過。」王曰:「魏請從,卿曰魏過,寡人未之許,又曰寡人過,然則從終不可乎?」對曰:「臣聞小國之與大國從事也,有利則大國受其福,有敗則小國受其禍。今魏以小國請其禍,而王以大國辭其福,臣故曰王過,魏亦過。竊以爲從便。」王曰:「善。」乃合魏爲從。虞卿既以魏齊之故,不重萬戶侯卿相之印,與魏齊閒行,卒去趙,困於梁。魏齊已死,不得意,乃著書,上採春秋,下觀近世,曰節義、稱號、揣摩、政謀,凡八篇。以刺譏國家得失,世傳之曰虞氏春秋。
新字:而魏請為従。趙孝成王召虞卿謀。過平原君,平原君曰:「願卿之論従也。」虞卿入見王。王曰:「魏請為従。」対曰:「魏過。」王曰:「寡人固未之許。」対曰:「王過。」王曰:「魏請従,卿曰魏過,寡人未之許,又曰寡人過,然則従終不可乎?」対曰:「臣聞小国之与大国従事也,有利則大国受其福,有敗則小国受其禍。今魏以小国請其禍,而王以大国辞其福,臣故曰王過,魏亦過。窃以為従便。」王曰:「善。」乃合魏為従。虞卿既以魏斉之故,不重万戸侯卿相之印,与魏斉閒行,卒去趙,困於梁。魏斉已死,不得意,乃著書,上採春秋,下観近世,曰節義、称号、揣摩、政謀,凡八篇。以刺譏国家得失,世伝之曰虞氏春秋。
書き下し
而して魏、従を為さんことを請ふ。趙の孝成王、虞卿を召して謀る。平原君に過る、平原君曰く、「願はくは卿の従を論ぜんことを」と。虞卿入りて王に見ゆ。王曰く、「魏、従を為さんことを請ふ」と。対へて曰く、「魏過てり」と。王曰く、「寡人固より未だこれを許さず」と。対へて曰く、「王過てり」と。王曰く、「魏従を請ふ、卿は魏過てりと曰ふ。寡人未だこれを許さず、また寡人過てりと曰ふ。然らば則ち従は終に不可なるか」と。対へて曰く、「臣聞く、小国の大国と事に従ふや、利有らば則ち大国その福を受け、敗有らば則ち小国その禍を受くと。今、魏は小国を以てその禍を請ひ、而して王は大国を以てその福を辞す。臣故に王過てり、魏も亦過てりと曰ふ。竊かに以為へらく従は便なり」と。王曰く、「善し」と。乃ち魏と合して従を為す。虞卿既に魏斉の故を以て、万戸侯・卿相の印を重んぜず、魏斉と閒行し、卒に趙を去り、梁に困しむ。魏斉已に死し、意を得ず、乃ち書を著し、上は春秋を採り、下は近世を観、節義・称号・揣摩・政謀と曰ふ、凡そ八篇。以て国家の得失を刺譏す、世これを伝へて虞氏春秋と曰ふ。
現代語訳
(しばらくすると、)魏が合従を結びたいと申し入れてきた。趙の孝成王は虞卿を呼んで相談した。虞卿が平原君のところに立ち寄ると、平原君は言った。「どうか合従を勧めてほしい。」虞卿は宮中に入って王に会った。王は言った。「魏が合従を結びたいと言ってきた。」虞卿は答えた。「魏は間違っている。」王は言った。「わしはもちろんまだ許していない。」虞卿は答えた。「王も間違っている。」王は言った。「魏が合従を求めてきたら、そなたは魏が間違っていると言う。わしがまだ許していないと言うと、また王も間違っていると言う。それでは合従は結局だめだということか。」虞卿は答えた。「私はこう聞いている。小国が大国と共に事を行うとき、うまくいけば大国がその福を受け、失敗すれば小国がその禍を受けるものだ。いま魏は小国でありながら禍を受ける側に回ろうと願い出ており、王は大国でありながら福を受ける立場を辞退している。だから私は、王も間違っているし、魏も間違っていると言ったのだ。ひそかに思うに、合従を結ぶのが得策だ。」王は「よろしい」と言い、魏と合従を結んだ。虞卿は後に魏斉のために、万戸侯の地位も卿相の印綬も惜しまずに捨て、魏斉と共に間道を抜けて逃げ、ついに趙を去って、梁(魏)で困窮した。魏斉が死んだ後、虞卿は志を得られず、そこで書物を著した。上は『春秋』から材料を採り、下は近い時代の出来事を観察して、「節義」「称号」「揣摩」「政謀」など、全部で八篇とした。それによって国家の政治の得失を風刺し批判した。世の人はこれを伝えて『虞氏春秋』と呼んだ。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石真の逆境とはいかなる場合をいうか、実例に徴して一応の説明を試みたいと思う。およそ世の中は順調を保って平穏無事にゆくのが普通であるべき筈ではあるが、水に波動のあるごとく、空中に風の起こるがごとく、平静なる国家社会すらも、時としては革命とか変乱とかいうことが起こって来ないとも断言されない。そしてこれを平静無事な時に比すれば明らかに逆であるが、人もまたこのごとき変乱の時代に生まれ合い、心ならずもその渦中に巻き込まれるは不幸の者で、こういうのが真の逆境に立つというのではあるまいか。果たしてしからば余もまた逆境に処して来た一人である。余は維新前後世の中が最も騒々しかった時代に生まれ合い、さまざまの変化に遭遇して今日に及んだ。顧みるに維新の際におけるがごとき世の変化に際しては、いかに智能ある者でも、また勉強家でも、意外な逆境に立ったり、あるいは順境に向かったりしないとは言われない。
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『酔古堂剣掃』集醒・惟だ折磨して乃ち吾輩を見る小人の豪傑を顛倒するを恠しむも、慣れて顛倒するは方に小人たるを知らず。吾輩の世の折磨を受くるを惜しむも、惟だ折磨して乃ち吾輩を見るを知らず。
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言志四録・言志録 第五十九条 患難は天の吾が才を老す凡そ遭ふ所の患難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の吾が才を老せしむる所以にして、砥礪切磋の地に非ざるは莫し。君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒に之を免れんと欲するは不可なり。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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『講孟余話』序然れども富貴安楽は順境なり、貧賤艱難は逆境なり。境順なる者は怠り易く、境逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得る、是れ人の常なり。吾罪を獲て獄に下り、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三子を得て、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。曰く、吾と諸君と其の境逆なり、以て励むこと有りて得べきなりと。遂に孟子の書を抱きて講究礱磨し、以て其の所謂道なる者を求めんと欲す。司獄福川氏も亦来り会して善と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞然として笑ひ、復た圜牆の苦たるを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して講孟劄記と為す。夫れ孟子の説は固より弁を待たず。然れども之れを喜びて足らず、乃ち之れを口に誦し、之れを誦して足らず、乃ち之れを紙に筆す、亦情の已む能はざる所なれば、則ち劄記の作、其れ廃すべけんや。抑々聞く、往年獄中に政無く、酒に酗ひ気を使ひ、喧豗紛争して、絶えて人道無しと。今公即位し、庶政更張して、延いて獄中に及び、百弊日に改まり、衆美並び興る。蓋し司獄も亦与りて力有り。今乃ち諸君と悠悠として学を講じ、以て其の幽囚を楽しむことを得る者、寧ぞ対揚する所以を思はざるべけんや。安政乙卯秋日、二十一回藤寅、諸を野山獄北房第一舎に書す。
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『講孟余話』告子下 第十五章又余野山獄に在る時、友人土屋松如、居易堂集明の遺臣俟斎徐枋の著を貸し示す。其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり、才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずること多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず、雪中松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少からず。唯真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。是れ又全文を諳ぜず、大意斯くの如し。今吾不才と云へども、象山の徒にして、又徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に笑はれんや。当に琢磨淬励して連城・干将となるべきのみ。是れ此の章に於て感ある所なり。抑も「入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ」と云ふに至りては、一転して国家の事に入る。尤も思ひを致すべし。余乃ち云く、内に法家払士あれば、敵国外患に因りて国随ひて興り、法家払士なければ、敵国外患に因りて国随ひて亡ぶ。今や敵国外患なきに非ず、法家払士の有無は国家興亡の界なり。豈に寒心せざることを得んや。
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