師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 平原君虞卿列伝

趙王計未定、樓緩從秦來、與趙王計之、勸割地。虞卿數言其不可、樓緩終不能屈。虞卿以趙王之議割地事、卒不能盡用其計。後魏請為從、趙孝成王召虞卿謀。虞卿既以魏齊之故、不重萬戶侯卿相之印、與魏齊閒行、卒去趙、困於梁。魏齊已死、不得意、乃著書、上採春秋、下觀近世、曰節義、稱號、揣摩、政謀、凡八篇、以刺譏國家得失、世傳之曰虞氏春秋。

新字:趙王計未定、楼緩従秦来、与趙王計之、勧割地。虞卿数言其不可、楼緩終不能屈。虞卿以趙王之議割地事、卒不能尽用其計。後魏請為従、趙孝成王召虞卿謀。虞卿既以魏斉之故、不重万戶侯卿相之印、与魏斉閒行、卒去趙、困於梁。魏斉已死、不得意、乃著書、上採春秋、下観近世、曰節義、稱号、揣摩、政謀、凡八篇、以刺譏国家得失、世伝之曰虞氏春秋。

書き下し

趙王計未だ定まらず、樓緩秦より来たり、趙王と之を計り、地を割くを勧む。虞卿数々其の不可を言ふも、樓緩終に屈する能はず。虞卿趙王の割地の事を議するを以て、卒に其の計を尽く用ふる能はず。後魏従を為さんことを請ひ、趙の孝成王虞卿を召して謀る。虞卿既に魏齊の故を以て、万戸侯卿相の印を重んぜず、魏齊と間行し、卒に趙を去りて、梁に困しむ。魏齊已に死し、意を得ず、乃ち書を著し、上は春秋を採り、下は近世を観、節義・称号・揣摩・政謀と曰ひ、凡そ八篇、以て国家の得失を刺譏し、世之を伝へて虞氏春秋と曰ふ。

現代語訳

「地位や富よりも、友情と信義を選ぶ」——利害を超えた義の生き方と、不遇を著述に昇華した虞卿の後半生を描いた一段です。有能な策士・虞卿は、趙で万戸侯・宰相という最高の地位にありました。しかし、彼の友人・魏齊が秦に追われて窮地に陥ったとき、虞卿は迷わずその地位を捨て、宰相の印綬を軽んじて、魏齊とともに逃亡の道を選びます。結果、趙を去って梁(魏)で困窮する身となりました。地位も富も投げ打って、追われる友を見捨てなかったのです。やがて魏齊が死に、失意のうちに不遇をかこつことになりますが、虞卿はその境遇に腐ることなく、自らの思想と経験を著述に注ぎ込みます。春秋から近世までの歴史を採り、「節義」「揣摩」「政謀」など八篇の書(後に『虞氏春秋』と呼ばれる)を著し、国家の得失を論じて後世に遺しました。ここに、二つの深い教訓があります。第一に、地位や富といった外形的な成功よりも、信義・友情という価値を優先する生き方。虞卿は、最高の地位を持ちながら、友の窮地の前でそれを惜しまなかった。損得勘定を超えて義を貫く選択は、短期的には大きな損失(地位喪失、困窮)を招きますが、その人の生き方の芯を示します。もちろん、この選択が賢明だったかは議論の余地があり(次段の太史公評でも問われます)、義に殉じることの美しさと危うさの両面があります。第二に、不遇を創造に転換したこと。虞卿は、地位を失い困窮した後、その憤りと知見を著述へと昇華させ、後世に価値を遺した。逆境や失意は、腐って終わるのではなく、それをバネに何かを生み出す機会にもなりうる。司馬遷自身が宮刑という屈辱の中で『史記』を著したように、窮愁こそが名著を生むという逆説を、虞卿の生涯は体現しています。

解説

あなたは、地位や富といった外形的な成功と、信義・友情という価値が対立したとき、何を優先しますか?損得勘定を超えて義を貫く選択の、美しさと危うさの両面を理解していますか?不遇や失意を、腐って終わらせず、創造や記録へと昇華する道を考えられますか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ