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史記 / 孟嘗君列伝

齊王惑於秦楚之毀、以為孟嘗君名高其主而擅齊國之權、遂廢孟嘗君。諸客見孟嘗君廢、皆去。馮驩乃西說秦王、令陰迎孟嘗君。又東說齊王曰、秦遣使車十乘載黃金百鎰以迎孟嘗君。王何不先秦使之未到、復孟嘗君而益與之邑以謝之。齊王乃復孟嘗君相位、又益以千戶。自齊王廢孟嘗君、諸客皆去。後召而復之。孟嘗君嘆曰、客見文一日廢、皆背文而去、莫顧文者。如復見文者、必唾其面而大辱之。馮驩曰、富貴多士、貧賤寡友、事之固然也。君獨不見夫趣市者乎、明旦側肩爭門而入、日暮之後過市者掉臂而不顧。非好朝而惡暮、所期物忘其中。願君遇客如故。孟嘗君再拜曰、敬從命矣。

新字:斉王惑於秦楚之毀、以為孟嘗君名高其主而擅斉国之権、遂廃孟嘗君。諸客見孟嘗君廃、皆去。馮驩乃西説秦王、令陰迎孟嘗君。又東説斉王曰、秦遣使車十乗載黄金百鎰以迎孟嘗君。王何不先秦使之未到、復孟嘗君而益与之邑以謝之。斉王乃復孟嘗君相位、又益以千戶。自斉王廃孟嘗君、諸客皆去。後召而復之。孟嘗君嘆曰、客見文一日廃、皆背文而去、莫顧文者。如復見文者、必唾其面而大辱之。馮驩曰、富貴多士、貧賤寡友、事之固然也。君独不見夫趣市者乎、明旦側肩争門而入、日暮之後過市者掉臂而不顧。非好朝而悪暮、所期物忘其中。願君遇客如故。孟嘗君再拝曰、敬従命矣。

書き下し

斉王秦楚の毀に惑ひ、孟嘗君名其の主より高くして斉国の権を擅にすと以為ひ、遂に孟嘗君を廃す。諸客孟嘗君の廃せらるるを見て、皆去る。馮驩乃ち西のかた秦王に説き、陰かに孟嘗君を迎へしむ。又東のかた斉王に説きて曰く、「秦使車十乘に黄金百鎰を載せて以て孟嘗君を迎ふ。王何ぞ秦使の未だ到らざるに先んじて、孟嘗君を復し邑を益して以て之に謝せざる」と。斉王乃ち孟嘗君の相位を復し、又益すに千戸を以てす。斉王孟嘗君を廃せしより、諸客皆去る。後召して之を復す。孟嘗君嘆じて曰く、「客文の一日廃せらるるを見て、皆文に背きて去り、文を顧みる者莫し。如し復た文を見る者あらば、必ず其の面に唾して大いに之を辱めん」と。馮驩曰く、「富貴なれば士多く、貧賤なれば友寡なきは、事の固より然るなり。君独り夫の市に趣く者を見ざるか、明旦肩を側てて門を争ひて入り、日暮の後市を過ぐる者臂を掉ひて顧みず。朝を好みて暮を悪むに非ず、期する所の物其の中に忘るればなり。願はくは君客を遇すること故のごとくせよ」と。孟嘗君再拝して曰く、「敬みて命に従はん」と。

現代語訳

「人が離合するのは、その人自身への好悪ではなく、利害の有無という自然の理」——人間関係の冷徹な真実を示し、恨みを手放すことを説いた一段です。孟嘗君は讒言で失脚すると、あれほど厚遇した三千の食客が、たちまち全員去っていきました。その後、馮驩の見事な工作(秦と斉を天秤にかけ、斉王に「秦に先を越されるな」と焦らせる交渉)で復位すると、孟嘗君は去った客たちを深く恨み、「二度と顔を見せたら唾を吐きかけて辱めてやる」と憤ります。しかし馮驩は諭します。「富貴になれば人が集まり、貧賤になれば友が減るのは、世の当然の理です。市場をご覧なさい。朝は人々が我先にと押し合って門に入るのに、日暮れには誰も見向きもせず腕を振って通り過ぎる。朝が好きで夕が嫌いなのではなく、求める物(商品)が夕方にはもう無いからです。客が去ったのも同じで、あなたに地位という『利』がなくなっただけのこと。客を恨まず、以前と同じように遇してください」。孟嘗君は深く納得し、その通りにしました。ここに、人間関係とリーダーシップの成熟した知恵があります。第一に、人が寄り集まり離れていくのは、多くの場合、その人個人への愛憎ではなく、「そこに利があるかどうか」という利害の構造によるものだ、という冷静な現実認識。順境で群がった人が逆境で去るのを、いちいち裏切りと恨んでいては、心が休まらず、人も戻ってこない。第二に、その現実を受け入れた上で、なお恨みを手放し、去った者が戻れば以前と同じように遇する度量。これは甘さではなく、人間の本性を見切った上での戦略的な寛容です。恨みに囚われれば人材を失い続けるが、寛容であれば人は再び集まる。組織のリーダーは、この「人の離合は利害による」という現実を冷静に受け止め、感情的な恨みではなく、長期的に人が集まる度量で臨むべきだ——馮驩の市場の比喩は、その普遍の知恵を鮮やかに教えます。

解説

あなたは、順境で群がった人が逆境で去るのを、いちいち裏切りと恨んでいませんか?人の離合が、その人個人への愛憎ではなく「利害の構造」によることを、冷静に受け止められていますか?現実を見切った上で、なお恨みを手放し、寛容に人を迎える度量を持てますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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