史記 / 白起王翦列伝
太史公曰、鄙語云、尺有所短、寸有所長。白起料敵合變、出奇無窮、聲震天下、然不能救患於應侯。王翦為秦將、夷六國、當是時、翦為宿將、始皇師之、然不能輔秦建德、固其根本、偷合取容、以至圽身。及孫王離為項羽所虜、不亦宜乎。彼各有所短也。
新字:太史公曰、鄙語云、尺有所短、寸有所長。白起料敵合変、出奇無窮、声震天下、然不能救患於応侯。王翦為秦将、夷六国、当是時、翦為宿将、始皇師之、然不能輔秦建徳、固其根本、偸合取容、以至圽身。及孫王離為項羽所虜、不亦宜乎。彼各有所短也。
書き下し
太史公曰く、「鄙語に云ふ、尺に短き所有り、寸に長き所有り、と。白起は敵を料り変に合ひ、奇を出だすこと窮まり無く、声天下に震ふ。然れども患ひを応侯より救ふ能はず。王翦は秦の将と為り、六国を夷ぐ。是の時に当り、翦は宿将為り、始皇之を師とす。然れども秦を輔けて徳を建て、其の根本を固むる能はず、偸合取容して、以て圽身に至る。孫の王離の項羽に虜とせらるるに及ぶも、亦た宜ならずや。彼各々短き所有るなり」と。
現代語訳
太史公は言う。「俗にこう言う。長い尺にも短いところがあり、短い寸にも長いところがある、と。白起は敵情を見抜いて変化に応じ、奇策は尽きることがなく、その名は天下を震わせた。それでいて、応侯からの災いを避けることはできなかった。王翦は秦の将軍となって六国を平らげた。当時、王翦は古参の将であり、始皇も彼を師と仰いだ。それでいて秦を助けて徳政を築き、その根本を固めることはできず、その場しのぎに迎合して自分の身を全うするばかりで、生涯を終えた。孫の王離が項羽に捕らえられたのも、当然と言うべきか。彼らにはそれぞれ短所があったのである」。
解説

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