史記 / 白起王翦列伝
「非六十萬人不可。」始皇曰:「王將軍老矣,何怯也!李將軍果勢壯勇,其言是也。」遂使李信及蒙恬將二十萬南伐荊。王翦言不用,因謝病,歸老於頻陽。李信攻平與,蒙恬攻寢,大破荊軍。信又攻鄢郢,破之,於是引兵而西,與蒙恬會城父。荊人因隨之,三日三夜不頓舍,大破李信軍,入兩壁,殺七都尉,秦軍走。始皇聞之,大怒,自馳如頻陽,見謝王翦曰:「寡人以不用將軍計,李信果辱秦軍。今聞荊兵日進而西,將軍雖病,獨忍棄寡人乎!」王翦謝曰:「老臣罷病悖亂,唯大王更擇賢將。」始皇謝曰:「已矣,將軍勿復言!」王翦曰:「大王必不得已用臣,非六十萬人不可。」始皇曰:「為聽將軍計耳。」於是王翦將兵六十萬人,始皇自送至灞上。王翦行,請美田宅園池甚眾。始皇曰:「將軍行矣,何憂貧乎?」王翦曰:「為大王將,有功終不得封侯,故及大王之向臣,臣亦及時以請園池為子孫業耳。」始皇大笑。王翦既至關,使使還請善田者五輩。或曰:「將軍之乞貸,亦已甚矣。」王翦曰:「不然。夫秦王怚而不信人。今空秦國甲士而專委於我,我不多請田宅為子孫業以自堅,顧令秦王坐而疑我邪?」
新字:「非六十万人不可。」始皇曰:「王将軍老矣,何怯也!李将軍果勢壮勇,其言是也。」遂使李信及蒙恬将二十万南伐荊。王翦言不用,因謝病,帰老於頻陽。李信攻平与,蒙恬攻寝,大破荊軍。信又攻鄢郢,破之,於是引兵而西,与蒙恬会城父。荊人因随之,三日三夜不頓舎,大破李信軍,入両壁,殺七都尉,秦軍走。始皇聞之,大怒,自馳如頻陽,見謝王翦曰:「寡人以不用将軍計,李信果辱秦軍。今聞荊兵日進而西,将軍雖病,独忍棄寡人乎!」王翦謝曰:「老臣罷病悖乱,唯大王更択賢将。」始皇謝曰:「已矣,将軍勿復言!」王翦曰:「大王必不得已用臣,非六十万人不可。」始皇曰:「為聴将軍計耳。」於是王翦将兵六十万人,始皇自送至灞上。王翦行,請美田宅園池甚衆。始皇曰:「将軍行矣,何憂貧乎?」王翦曰:「為大王将,有功終不得封侯,故及大王之向臣,臣亦及時以請園池為子孫業耳。」始皇大笑。王翦既至関,使使還請善田者五輩。或曰:「将軍之乞貸,亦已甚矣。」王翦曰:「不然。夫秦王怚而不信人。今空秦国甲士而専委於我,我不多請田宅為子孫業以自堅,顧令秦王坐而疑我邪?」
書き下し
「六十万人に非ずんば不可なり」と。始皇曰く、「王将軍老いたり、何ぞ怯なるや。李将軍は果勢壮勇、その言是なり」と。遂に李信及び蒙恬をして二十万を将ゐて南のかた荊を伐たしむ。王翦の言用ひられず、因りて病を謝し、帰りて頻陽に老す。李信は平与を攻め、蒙恬は寝を攻め、大いに荊の軍を破る。信また鄢郢を攻め、これを破る。是に於いて兵を引きて西し、蒙恬と城父に会す。荊人因りてこれに随ひ、三日三夜頓舎せず、大いに李信の軍を破り、両壁に入り、七都尉を殺し、秦の軍走る。始皇これを聞き、大いに怒り、自ら馳せて頻陽に如き、王翦に見え謝して曰く、「寡人、将軍の計を用ひざるを以て、李信果たして秦の軍を辱めたり。今聞く、荊の兵日に進みて西すと。将軍病むと雖も、独り寡人を棄つるに忍びんや」と。王翦謝して曰く、「老臣は罷病悖乱す、唯だ大王更に賢将を択べ」と。始皇謝して曰く、「已みなん、将軍復た言ふこと勿かれ」と。王翦曰く、「大王必ず已むを得ずして臣を用ひんとせば、六十万人に非ずんば不可なり」と。始皇曰く、「為に将軍の計を聴かんのみ」と。是に於いて王翦、兵六十万人を将ゐ、始皇自ら送りて灞上に至る。王翦行くに、美田宅園池を請ふこと甚だ衆し。始皇曰く、「将軍行け、何ぞ貧を憂へんや」と。王翦曰く、「大王の将と為りて、功有るも終に封侯を得ず。故に大王の臣に向かふに及び、臣もまた時に及びて以て園池を請ひて子孫の業と為さんのみ」と。始皇大いに笑ふ。王翦既に関に至り、使ひをして還りて善田を請はしむる者五輩。或ひと曰く、「将軍の乞貸もまた已に甚だし」と。王翦曰く、「然らず。夫れ秦王は怚にして人を信ぜず。今、秦国の甲士を空しくして専ら我に委ぬ。我多く田宅を請ひて子孫の業と為して以て自ら堅くせずんば、顧って秦王をして坐して我を疑はしめんや」と。
現代語訳
「六十万人でなければ無理だ。」始皇は言った。「王将軍も年をとったものだ。何と臆病なことか。李将軍は果断で勇ましく、その言うことが正しい。」こうして李信と蒙恬に二十万の兵を率いさせ、南の荊を討たせた。王翦は意見が用いられなかったので、病気を理由に辞職し、故郷の頻陽に帰って隠居した。李信は平与を、蒙恬は寝を攻め、荊の軍を大いに破った。李信はさらに鄢郢を攻めて破った。そこで兵を率いて西へ向かい、蒙恬と城父で合流しようとした。荊の軍はこれを追い、三日三晩休みなく進撃して、李信の軍を大いに破り、二つの陣営に攻め入り、七人の都尉(部隊長)を殺し、秦軍は敗走した。始皇はこれを聞いて激怒し、自ら馬を走らせて頻陽へ行き、王翦に会って詫びた。「わしが将軍の計を用いなかったために、李信は案の定、秦軍に恥をかかせた。いま荊の兵は日ごとに西へ進んでいるという。将軍は病気とはいえ、わしを見捨てるに忍びるのか。」王翦は辞退して言った。「老いぼれの私は疲れて病み、頭も乱れている。どうか大王は改めて賢い将をお選びください。」始皇は詫びて言った。「もうよい。将軍はそれ以上言ってくれるな。」王翦は言った。「大王がどうしても私をお使いになるのなら、六十万人でなければ無理だ。」始皇は言った。「将軍の計に従うまでだ。」こうして王翦は六十万の兵を率い、始皇は自ら灞上まで見送った。王翦は出発に際し、よい田地や屋敷、庭園や池をたいへん多く求めた。始皇は言った。「将軍、行きなされ。どうして貧乏の心配などするのか。」王翦は言った。「大王の将となって功を立てても、結局は侯に封ぜられることはない。だから大王が私に目をかけてくださるうちに、私も今のうちに庭園や池を願い出て、子孫の生業にしておきたいのだ。」始皇は大笑いした。王翦は函谷関に着くまでに、使いを都へ戻らせてよい田地を求めること五度に及んだ。ある人が言った。「将軍のおねだりも、少々度が過ぎはしないか。」王翦は言った。「そうではない。秦王は気が荒く、人を信じない。いま秦の国の兵をすっかり空にして、それを私一人に任せている。私が田地や屋敷をたくさん求めて子孫の生業とし、自分に野心がないことを示しておかなければ、かえって秦王に、居ながらにして私を疑わせることになるではないか。」
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
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