史記 / 白起王翦列伝
始皇聞之大怒、自馳如頻陽、見謝王翦曰、寡人以不用將軍計、李信果辱秦軍。將軍雖病、獨忍棄寡人乎。王翦曰、大王必不得已用臣、非六十萬人不可。始皇曰、為聽將軍計耳。於是王翦將兵六十萬人、始皇自送至灞上。王翦行、請美田宅園池甚眾。始皇曰、將軍行矣、何憂貧乎。王翦曰、為大王將、有功終不得封侯、故及大王之向臣、臣亦及時以請園池為子孫業耳。始皇大笑。王翦既至關、使使還請善田者五輩。或曰、將軍之乞貸、亦已甚矣。王翦曰、不然。夫秦王怚而不信人。今空秦國甲士而專委於我、我不多請田宅為子孫業以自堅、顧令秦王坐而疑我邪。
新字:始皇聞之大怒、自馳如頻陽、見謝王翦曰、寡人以不用将軍計、李信果辱秦軍。将軍雖病、独忍棄寡人乎。王翦曰、大王必不得已用臣、非六十万人不可。始皇曰、為聴将軍計耳。於是王翦将兵六十万人、始皇自送至灞上。王翦行、請美田宅園池甚眾。始皇曰、将軍行矣、何憂貧乎。王翦曰、為大王将、有功終不得封侯、故及大王之向臣、臣亦及時以請園池為子孫業耳。始皇大笑。王翦既至関、使使還請善田者五輩。或曰、将軍之乞貸、亦已甚矣。王翦曰、不然。夫秦王怚而不信人。今空秦国甲士而専委於我、我不多請田宅為子孫業以自堅、顧令秦王坐而疑我邪。
書き下し
始皇之を聞きて大いに怒り、自ら馳せて頻陽に如き、王翦に見謝して曰く、「寡人将軍の計を用ひざるを以て、李信果たして秦軍を辱む。将軍病むと雖も、独り寡人を棄つるに忍びんや」と。王翦曰く、「大王必ず已むを得ずして臣を用ひば、六十万人に非ざれば不可なり」と。始皇曰く、「将軍の計を聴くのみ」と。是に於いて王翦兵六十万人を将ゐ、始皇自ら送りて灞上に至る。王翦行くに、美田宅園池を請ふこと甚だ衆し。始皇曰く、「将軍行けよ、何ぞ貧を憂へんや」と。王翦曰く、「大王の将と為り、功有るも終に封侯を得ず、故に大王の臣に向ふに及び、臣も亦た時に及びて園池を請ひ子孫の業と為すのみ」と。始皇大いに笑ふ。王翦既に関に至り、使をして還りて善田を請ふ者五輩ならしむ。或るひと曰く、「将軍の乞貸、亦た已だ甚だし」と。王翦曰く、「然らず。夫れ秦王は怚にして人を信ぜず。今秦国の甲士を空しくして専ら我に委ぬ、我多く田宅を請ひ子孫の業と為して以て自ら堅くせずんば、顧って秦王をして坐して我を疑はしめんや」と。
現代語訳
始皇はこれを聞いて激怒し、みずから馬を走らせて頻陽へ行き、王翦に会って詫びて言った。「私が将軍の計を用いなかったばかりに、李信は果たして秦軍を辱めた。将軍は病だというが、それでも私を見捨てるに忍びないだろう」。王翦は言った。「大王がどうしても私を用いられるのなら、六十万人でなければできません」。始皇は言った。「将軍の言うとおりにしよう」。こうして王翦は六十万の兵を率い、始皇はみずから灞上まで見送った。出陣にあたり、王翦は良い田畑や屋敷、庭園や池をずいぶん多く願い出た。始皇は言った。「将軍、行ってくれ。貧しさの心配などいらぬではないか」。王翦は言った。「大王の将軍となっても、功があっても結局は諸侯に封じられません。ですから大王が私を必要とされる今のうちに、私も庭園や池を願い出て、子孫の財産としておくだけのことです」。始皇は大いに笑った。王翦は関に着くと、使者を五度も送り返して良い田を願い出た。ある人が言った。「将軍のねだり方は、いくらなんでも度が過ぎています」。王翦は言った。「そうではない。秦王は粗暴で人を信じない。今、秦国じゅうの兵をからにして、それをそっくり私に預けたのだ。私が田や屋敷を多く願い出て、子孫の財産にするのだと示して、自分の身の証を立てておかなければ、秦王はじっとしていながら私を疑うことになろう」。