史記 / 蘇秦列伝
因東說齊宣王曰、齊南有泰山、東有瑯邪、西有清河、北有勃海、所謂四塞之國也。齊地方二千餘里、帶甲數十萬、粟如丘山。夫韓魏之所以重畏秦者、為與秦接境壤界也。兵出而相當、不十日而戰勝存亡之機決矣。夫不深料秦之無柰齊何、而欲西面而事之、是群臣之計過也。今無臣事秦之名而有彊國之實、臣是故願大王少留意計之。齊王曰、寡人不敏、僻遠守海、窮道東境之國也、未嘗得聞餘教。今足下以趙王詔詔之、敬以國從。
新字:因東説斉宣王曰、斉南有泰山、東有瑯邪、西有清河、北有勃海、所謂四塞之国也。斉地方二千余里、帯甲数十万、粟如丘山。夫韓魏之所以重畏秦者、為与秦接境壤界也。兵出而相当、不十日而戦勝存亡之機決矣。夫不深料秦之無柰斉何、而欲西面而事之、是群臣之計過也。今無臣事秦之名而有彊国之実、臣是故願大王少留意計之。斉王曰、寡人不敏、僻遠守海、窮道東境之国也、未嘗得聞余教。今足下以趙王詔詔之、敬以国従。
書き下し
因りて東のかた斉の宣王に説きて曰く、「斉は南に泰山有り、東に瑯邪有り、西に清河有り、北に勃海有り、所謂四塞の国なり。斉は地方二千余里、帯甲数十万、粟丘山の如し。夫れ韓魏の秦を重畏する所以は、秦と境を接し界を壌にするが為なり。兵出でて相ひ当たれば、十日ならずして戦勝存亡の機決す。夫れ秦の斉を柰何ともする無きを深く料らずして、西面して之に事へんと欲するは、是れ群臣の計過てるなり。今秦に臣事するの名無くして彊国の実有り、臣是の故に願はくは大王少しく意を留めて之を計れ」と。斉王曰く、「寡人不敏にして、僻遠海を守り、窮道東境の国なり、未だ嘗て余教を聞くを得ず。今足下趙王の詔を以て之を詔す、敬みて国を以て従はん」と。
現代語訳
続いて東へ向かい、斉の宣王に説いて言った。「斉は南に泰山、東に瑯邪、西に清河、北に勃海があり、いわゆる四方を要害に囲まれた国です。斉は領土が二千余里四方、武装兵が数十万、穀物は山のように積まれています。そもそも韓と魏が秦を深く恐れているのは、秦と国境を接しているからです。兵が出て向かい合えば、十日もたたぬうちに勝敗と存亡が決してしまう。ところが秦は斉に対しては手の打ちようがありません。それをよく見極めもせず、西を向いて秦に仕えようとするのは、群臣の計が誤っているのです。今、秦に臣従するという不名誉を負うこともなく、強国としての実を保てる。だからこそ私は、大王に少しでもお心を留めてお考えいただきたいのです」。斉王は言った。「私は愚かで、辺鄙な海辺を守り、行き止まりの東の果ての国にいて、これまで立派な教えを聞くことができなかった。今、あなたが趙王のお言葉としてこれを告げてくださった。謹んで国を挙げて従おう」。
解説
この章句が説くこと
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