史記 / 仲尼弟子列伝
原憲字子思。子思問恥。孔子曰、國有道、穀。國無道、穀、恥也。孔子卒、原憲遂亡在草澤中。子貢相衛、而結駟連騎、排藜藿入窮閻、過謝原憲。憲攝敝衣冠見子貢。子貢恥之、曰、夫子豈病乎。原憲曰、吾聞之、無財者謂之貧、學道而不能行者謂之病。若憲、貧也、非病也。子貢慚、不懌而去、終身恥其言之過也。
新字:原憲字子思。子思問恥。孔子曰、国有道、穀。国無道、穀、恥也。孔子卒、原憲遂亡在草沢中。子貢相衛、而結駟連騎、排藜藿入窮閻、過謝原憲。憲摂敝衣冠見子貢。子貢恥之、曰、夫子豈病乎。原憲曰、吾聞之、無財者謂之貧、學道而不能行者謂之病。若憲、貧也、非病也。子貢慚、不懌而去、終身恥其言之過也。
書き下し
原憲、字は子思。子思、恥を問ふ。孔子曰く、「国道有れば穀す。国道無くして穀するは、恥なり」と。孔子卒し、原憲遂に亡げて草沢の中に在り。子貢、衛に相たり、駟を結び騎を連ね、藜藿を排して窮閻に入り、過ぎりて原憲を謝す。憲、敝れたる衣冠を摂へて子貢に見ゆ。子貢之を恥ぢて曰く、「夫子豈に病めるか」と。原憲曰く、「吾之を聞く、財無き者は之を貧と謂ひ、道を学びて行ふ能はざる者は之を病と謂ふ、と。憲の若きは、貧なり、病に非ざるなり」と。子貢慚ぢ、懌ばずして去り、身を終ふるまで其の言の過ぎたるを恥づ。
現代語訳
「貧しさ」と「志の欠如」はまったく別物だ——物質的な豊かさで人の価値を測ることへの、痛烈な問い直しの一段です。孔子の死後、原憲は貧窮して隠棲していました。一方、同門の子貢は衛の宰相として立派な馬車を連ねて栄華を極め、みすぼらしい路地に住む原憲を訪ね、そのぼろ姿を見て「あなたは病んでおられるのか(困窮して参っているのか)」と、憐れむように言います。原憲はこう答えました。「財産がないのを『貧』といい、道を学びながら実践できないのを『病』という。私は貧しいだけで、病んではいない」。この一言に、子貢は恥じ入り、生涯その失言を悔いました。ここには深い価値観の転換があります。人の真価は、富や地位といった外形ではなく、志を持ち、学んだことを実践しているか(内面の充実)にある。経済的に成功した子貢が、貧しい原憲の前で恥じ入ったという構図は、物質的成功が必ずしも人格の高さを意味しないことを示します。組織や社会で、私たちはつい経済的な成功度で人を格付けしがちです。しかし、貧しくても志高く生きる人を憐れむのは、むしろ測る側の浅さかもしれない。外形の豊かさではなく、内面の充実で人を見る——原憲の凛とした言葉は、その基準を鮮烈に示します。