史記 / 仲尼弟子列伝
冉求字子有,少孔子二十九歳。爲季氏宰。季康子問孔子曰:「冉求仁乎?」曰:「千室之邑,百乘之家,求也可使治其賦。仁則吾不知也。」復問:「子路仁乎?」孔子對曰:「如求。」求問曰:「聞斯行諸?」子曰:「行之。」子路問:「聞斯行諸?」子曰:「有父兄在,如之何其聞斯行之!」子華怪之,「敢問問同而答異?」孔子曰:「求也退,故進之。由也兼人,故退之。」
新字:冉求字子有,少孔子二十九歳。為季氏宰。季康子問孔子曰:「冉求仁乎?」曰:「千室之邑,百乗之家,求也可使治其賦。仁則吾不知也。」復問:「子路仁乎?」孔子対曰:「如求。」求問曰:「聞斯行諸?」子曰:「行之。」子路問:「聞斯行諸?」子曰:「有父兄在,如之何其聞斯行之!」子華怪之,「敢問問同而答異?」孔子曰:「求也退,故進之。由也兼人,故退之。」
書き下し
冉求、字は子有、孔子より少きこと二十九歳。季氏の宰と為る。季康子孔子に問ひて曰く、「冉求は仁なるか」と。曰く、「千室の邑、百乗の家、求や其の賦を治めしむべし。仁は則ち吾知らざるなり」と。復た問ふ、「子路は仁なるか」と。孔子対へて曰く、「求の如し」と。求問ひて曰く、「聞けば斯に諸を行はんか」と。子曰く、「之を行へ」と。子路問ふ、「聞けば斯に諸を行はんか」と。子曰く、「父兄の在る有り、之を如何ぞ其れ聞けば斯に之を行はんや」と。子華之を怪しみ、「敢へて問ふ、問ひ同じくして答へ異なるは」と。孔子曰く、「求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く」と。
現代語訳
冉求(ぜんきゅう)は字(あざな)を子有といい、孔子より二十九歳年下である。魯の家老季氏の家宰となった。季康子が孔子に尋ねた。「冉求は仁者か。」孔子は言った。「千戸の町や、戦車百乗を持つ大夫の家なら、求にその税や軍賦の管理を任せることができる。だが仁者かどうかは、わたしには分からない。」季康子がさらに尋ねた。「子路は仁者か。」孔子は答えた。「求と同じだ。」冉求が尋ねた。「よいことを聞いたら、すぐに実行すべきか。」孔子は「実行しなさい」と言った。子路が尋ねた。「よいことを聞いたら、すぐに実行すべきか。」孔子は言った。「父や兄がいるのに、どうして聞いたらすぐに実行するのか。」公西華(子華)はこれを不思議に思い、「同じ質問なのに答えが違うのはなぜか、お尋ねしたい」と言った。孔子は言った。「求は引っ込み思案だから、背中を押したのだ。由(子路)は人の分まで出しゃばるから、引き止めたのだ。」
解説
この章句が説くこと
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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論語・述而篇子曰わく、憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復せず。
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孔子家語・子路初見子路孔子に見ゆ。子曰わく、「汝何をか好む。」対えて曰わく、「長剣を好む。」孔子曰わく、「吾此を問うに非ざるなり。徒だ子の能くする所を謂うに、之に加うるに学問を以てせば、豈に及ぶ可けんやと謂うなり。」子路曰わく、「学、豈に益あらんや。」孔子曰わく、「夫れ人君にして諫臣無ければ、則ち正しきを失う。士にして教友無ければ、則ち聴くを失う。狂馬を禦するに策を釈てず、弓を操るに檠を反さず。木縄を受くれば則ち直く、人諫を受くれば則ち聖なり。学を受け問いを重んずれば、孰か順わざらんや。仁を毀り仕を悪めば、必ず刑に近し。君子学ばざる可からず。」子路曰わく、「南山に竹有り、柔らかならずして自ら直し。斬りて之を用うれば、犀革に達す。此を以て之を言えば、何の学かこれ有らん。」孔子曰わく、「括りて之に羽し、鏃して之を礪げば、其の入ること深からずや。」子路再拝して曰わく、「敬んで教えを受く。」
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孔子家語・曲禮子夏問子路と子羔、衛に仕う、衛に蒯聵の難有り。孔子魯に在り、之を聞きて曰く、「柴や其れ来たらん、由や死せん」と。既にして衛の使い至り、曰く、「子路死せり」と。夫子之を中庭に哭す、人の吊う者有りて、夫子之を拝す、已に哭して、使者を進めて故を問う、使者曰く、「之を醢にせり」と。遂に左右をして皆醢を覆さしめて曰く、「吾何ぞ忍びて此を食らわんや」と。
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孔子家語・六本子路、孔子に問いて曰わく、「請う古の道を捨てて、由の意を行うは可ならんか。」子曰わく、「不可なり。昔、東夷の子、諸夏の礼を慕い、女有りて寡なるに、内に私婿を為し、終身嫁がず。嫁がざるは嫁がざるも、亦た貞節の義に非ざるなり。蒼梧の嬈、妻を娶りて美なるに、其の兄に譲る。譲るは譲るも、然れども礼の譲るに非ざるなり。其の初めを慎まずして、其の後を悔ゆ。何ぞ嗟くも及ばんや。今汝古の道を舎てて、子の意を行わんと欲す。庸ぞ知らんや、子の意是れを以て非と為し、非を以て是と為さざるを。後悔いんと欲すと雖も、難いかな。」
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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