史記 / 伍子胥列伝
其後四歲、白公勝與石乞襲殺楚令尹子西・司馬子綦於朝。石乞曰、不殺王、不可。乃劫王如高府。石乞從者屈固負楚惠王亡走昭夫人之宮。葉公聞白公為亂、率其國人攻白公。白公之徒敗、亡走山中、自殺。而虜石乞、而問白公尸處、不言將亨。石乞曰、事成為卿、不成而亨、固其職也。終不肯告其尸處。遂亨石乞、而求惠王復立之。太史公曰、怨毒之於人甚矣哉。王者尚不能行之於臣下、況同列乎。向令伍子胥從奢俱死、何異螻蟻。棄小義、雪大恥、名垂於後世、悲夫。方子胥窘於江上、道乞食、志豈嘗須臾忘郢邪。故隱忍就功名、非烈丈夫孰能致此哉。白公如不自立為君者、其功謀亦不可勝道者哉。
新字:其後四歳、白公勝与石乞襲殺楚令尹子西・司馬子綦於朝。石乞曰、不殺王、不可。乃劫王如高府。石乞従者屈固負楚恵王亡走昭夫人之宮。葉公聞白公為乱、率其国人攻白公。白公之徒敗、亡走山中、自殺。而虜石乞、而問白公尸処、不言将亨。石乞曰、事成為卿、不成而亨、固其職也。終不肯告其尸処。遂亨石乞、而求恵王復立之。太史公曰、怨毒之於人甚矣哉。王者尚不能行之於臣下、況同列乎。向令伍子胥従奢倶死、何異螻蟻。棄小義、雪大恥、名垂於後世、悲夫。方子胥窘於江上、道乞食、志豈嘗須臾忘郢邪。故隠忍就功名、非烈丈夫孰能致此哉。白公如不自立為君者、其功謀亦不可勝道者哉。
書き下し
其の後四歳、白公勝、石乞と与に楚の令尹子西・司馬子綦を朝に襲殺す。石乞曰く、「王を殺さずんば不可なり」と。乃ち王を劫して高府に如く。石乞の従者屈固、楚の恵王を負ひて亡げ、昭夫人の宮に走る。葉公、白公の乱を為すを聞き、其の国人を率ゐて白公を攻む。白公の徒敗れ、亡げて山中に走り、自殺す。而して石乞を虜にし、白公の尸處を問ふも、言はず、将に亨んとす。石乞曰く、「事成らば卿と為り、成らずして亨らるるは、固より其の職なり」と。終に其の尸處を告ぐるを肯ぜず。遂に石乞を亨、而して恵王を求めて復た之を立つ。太史公曰く、「怨毒の人に於けるや甚だしきかな。王者すら尚ほ之を臣下に行ふ能はず、況んや同列をや。向に伍子胥をして奢に従ひて倶に死せしめば、何ぞ螻蟻に異ならん。小義を棄てて大恥を雪ぎ、名を後世に垂る、悲しいかな。子胥の江上に窘み、道に食を乞ふに方り、志豈に嘗て須臾も郢を忘れんや。故に隠忍して功名を就すは、烈丈夫に非ずんば孰か能く此れを致さん。白公の如き自ら立ちて君と為らざる者は、其の功謀も亦た勝げて道ふ可からざる者なるかな」と。
現代語訳
その四年後、白公勝は石乞とともに、楚の令尹・子西と司馬・子綦を朝廷で襲って殺した。石乞は言った。「王も殺さなければなりません」。そこで王を脅して高府へ連れ去った。石乞の従者だった屈固は、楚の恵王を背負って逃げ、昭夫人の宮へ走り込んだ。葉公は白公が乱を起こしたと聞き、国の人々を率いて白公を攻めた。白公の一党は敗れ、白公は山中へ逃げて自殺した。石乞は捕らえられ、白公の遺体のありかを問われたが、口を割らなかった。釜ゆでにされようとすると、石乞は言った。「事が成れば卿になれた。成らずして釜ゆでにされるのは、もとより覚悟の上のこと」。ついに遺体のありかを告げようとしなかった。そこで石乞を釜ゆでにし、恵王を探し出して、ふたたび王位に就けた。太史公は言う。「恨みが人に及ぼす害は、なんとすさまじいことか。王者でさえ臣下に対して恨みを晴らすことはできないのに、まして同輩どうしではなおさらだ。もし伍子胥が父の伍奢に従って共に死んでいたら、けらやありと何の違いがあっただろう。小さな義を捨てて大きな恥をすすぎ、名を後世に残した。哀れなことだ。子胥が長江のほとりで窮し、道で食を乞うていたときも、その志は一瞬たりとも郢を忘れたことがあっただろうか。だからこそ耐え忍んで功名を成しとげたのだ。剛毅な男でなければ、こんなことはできない。白公も、もし自ら王位に就こうとさえしなければ、その功績と謀は語り尽くせぬほどのものだったろうに」。
解説
この章句が説くこと
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呂氏春秋・髙義①君子の自ら行うや、動けば必ず義に縁る。行うこと必ず義に誠なれば、俗、之を窮せりと謂うと雖も、通ずるなり。行うこと義に誠ならず、動くこと義に縁らざれば、俗、之を通ぜりと謂うと雖も、窮せるなり。然らば則ち君子の窮通は、俗に異なる者有るなり。故に功に當りて以て賞を受け、罪に當りて以て罰を受く。賞當たらざれば、之に與うと雖も必ず辭す。罰誠に當たれば、之を赦すと雖も外けず。之を國に度れば、必ず利長久ならん。長久の主に於ける、必ず宜しく內は心に反して慚ぢずして然る後動くべし。
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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