史記 / 伍子胥列伝
伍子胥初所與俱亡故楚太子建之子勝者、在於吳。吳王夫差之時、楚惠王欲召勝歸楚。葉公諫曰、勝好勇而陰求死士、殆有私乎。惠王不聽。遂召勝、使居楚之邊邑鄢、號為白公。白公歸楚三年而吳誅子胥。白公勝既歸楚、怨鄭之殺其父、乃陰養死士求報鄭。歸楚五年、請伐鄭、楚令尹子西許之。兵未發而晉伐鄭、鄭請救於楚。楚使子西往救、與盟而還。白公勝怒曰、非鄭之仇、乃子西也。勝自礪劍、人問曰、何以為。勝曰、欲以殺子西。子西聞之、笑曰、勝如卵耳、何能為也。
新字:伍子胥初所与俱亡故楚太子建之子勝者、在於吳。吳王夫差之時、楚恵王欲召勝歸楚。葉公諫曰、勝好勇而陰求死士、殆有私乎。恵王不聴。遂召勝、使居楚之辺邑鄢、号為白公。白公歸楚三年而吳誅子胥。白公勝既歸楚、怨鄭之殺其父、乃陰養死士求報鄭。歸楚五年、請伐鄭、楚令尹子西許之。兵未発而晉伐鄭、鄭請救於楚。楚使子西往救、与盟而還。白公勝怒曰、非鄭之仇、乃子西也。勝自礪剣、人問曰、何以為。勝曰、欲以殺子西。子西聞之、笑曰、勝如卵耳、何能為也。
書き下し
伍子胥初め与に倶に亡げし所の故の楚の太子建の子の勝は、呉に在り。呉王夫差の時、楚の恵王勝を召して楚に帰さんと欲す。葉公諫めて曰く、「勝は勇を好みて陰かに死士を求む、殆ど私有らんか」と。恵王聴かず。遂に勝を召し、楚の辺邑鄢に居らしめ、号して白公と為す。白公楚に帰りて三年にして呉子胥を誅す。白公勝既に楚に帰り、鄭の其の父を殺せしを怨み、乃ち陰かに死士を養ひて鄭に報いんことを求む。楚に帰りて五年、鄭を伐たんことを請ふ。楚の令尹子西之を許す。兵未だ発せざるに晋鄭を伐ち、鄭救ひを楚に請ふ。楚子西をして往きて救はしめ、盟を与へて還る。白公勝怒りて曰く、「鄭の仇に非ず、乃ち子西なり」と。勝自ら剣を礪ぐ。人問ひて曰く、「何を以て為す」と。勝曰く、「以て子西を殺さんと欲す」と。子西之を聞き、笑ひて曰く、「勝は卵のごときのみ、何ぞ能く為さん」と。
現代語訳
復讐の連鎖と、脅威を侮ることの危うさを描いた、伍子胥ゆかりの人物(白公勝)をめぐる一段です。伍子胥が連れて逃げた太子建の遺児・勝は、楚に呼び戻されて白公となります。招く前、葉公は『勝は勇を好み、ひそかに決死の部下を集めている。何か企みがあるのでは』と、その危険性を的確に見抜いて諫めました。しかし恵王は聞き入れず、勝を招いてしまう。案の定、勝は父の仇(鄭)への復讐に執念を燃やし、その約束を反故にした令尹・子西へと憎悪の矛先を向けます。ここで致命的なのが子西の対応です。勝が公然と「子西を殺す」と剣を研いでいると聞いても、『勝など卵のようなもの、何ができる』と侮って一笑に付す。この油断が、次段の惨劇を招きます。組織の教訓は二つ。第一に、危険人物・リスクの兆候は、葉公のように早期に察知した警告を軽視してはならない。第二に、明白な敵意を示す相手を「取るに足らない」と侮ることは、最も危険な過小評価だということ。脅威は、恐れすぎるのも問題ですが、侮って備えを怠れば、その慢心こそが命取りになります。