史記 / 伍子胥列伝
伍胥既至宋、宋有華氏之亂、乃與太子建俱奔於鄭。鄭人甚善之。太子建又適晉、晉頃公曰、太子既善鄭、鄭信太子。太子能為我內應、而我攻其外、滅鄭必矣。滅鄭而封太子。太子乃還鄭。事未會、會自私欲殺其從者、從者知其謀、乃告之於鄭。鄭定公與子產誅殺太子建。建有子名勝。伍胥懼、乃與勝俱奔吳。到昭關、昭關欲執之。伍胥遂與勝獨身步走、幾不得脫。追者在後。至江、江上有一漁父乘船、知伍胥之急、乃渡伍胥。伍胥既渡、解其劍曰、此劍直百金、以與父。父曰、楚國之法、得伍胥者賜粟五萬石、爵執珪、豈徒百金劍邪。不受。伍胥未至吳而疾、止中道、乞食。至於吳、吳王僚方用事、公子光為將。伍胥乃因公子光以求見吳王。
新字:伍胥既至宋、宋有華氏之乱、乃与太子建倶奔於鄭。鄭人甚善之。太子建又適晋、晋頃公曰、太子既善鄭、鄭信太子。太子能為我内応、而我攻其外、滅鄭必矣。滅鄭而封太子。太子乃還鄭。事未会、会自私欲殺其従者、従者知其謀、乃告之於鄭。鄭定公与子産誅殺太子建。建有子名勝。伍胥懼、乃与勝倶奔呉。到昭関、昭関欲執之。伍胥遂与勝独身歩走、幾不得脱。追者在後。至江、江上有一漁父乗船、知伍胥之急、乃渡伍胥。伍胥既渡、解其剣曰、此剣直百金、以与父。父曰、楚国之法、得伍胥者賜粟五万石、爵執珪、豈徒百金剣邪。不受。伍胥未至呉而疾、止中道、乞食。至於呉、呉王僚方用事、公子光為将。伍胥乃因公子光以求見呉王。
書き下し
伍胥既に宋に至る。宋に華氏の乱有り、乃ち太子建と倶に鄭に奔る。鄭人甚だ之に善くす。太子建又晋に適く。晋の頃公曰く、「太子既に鄭に善く、鄭太子を信ず。太子能く我が為に内応し、我其の外を攻めば、鄭を滅ぼすこと必せり。鄭を滅ぼして太子を封ぜん」と。太子乃ち鄭に還る。事未だ会せざるに、会々自ら私かに其の従者を殺さんと欲す。従者其の謀を知り、乃ち之を鄭に告ぐ。鄭の定公、子産と、太子建を誅殺す。建に子有り、名は勝。伍胥懼れ、乃ち勝と倶に呉に奔る。昭関に到り、昭関之を執らへんと欲す。伍胥遂に勝と独身歩走し、幾んど脱するを得ざらんとす。追ふ者後に在り。江に至る。江上に一漁父の船に乗る有り、伍胥の急を知り、乃ち伍胥を渡す。伍胥既に渡り、其の剣を解きて曰く、「此の剣は直百金なり、以て父に与へん」と。父曰く、「楚国の法、伍胥を得る者は粟五万石を賜ひ、爵執珪あり、豈に徒だに百金の剣のみならんや」と。受けず。伍胥未だ呉に至らずして疾み、中道に止まり、食を乞ふ。呉に至る。呉王僚方に事を用ゐ、公子光将為り。伍胥乃ち公子光に因りて以て呉王に見ゆるを求む。
現代語訳
伍胥は宋に着いた。ところが宋では華氏の乱が起こり、太子建とともに鄭へ逃れた。鄭の人々は二人を厚遇した。太子建はさらに晋へ行った。晋の頃公は言った。「太子は鄭と親しく、鄭も太子を信用している。太子が私のために内応してくれれば、私が外から攻め、鄭は必ず滅ぼせる。鄭を滅ぼしたら太子に領地として与えよう」。太子は鄭に戻った。まだ事を起こす前に、たまたま自分の従者を私的に殺そうとした。その従者は謀を知っていたので、鄭に密告した。鄭の定公は子産とともに太子建を誅殺した。建には勝という子がいた。伍胥は身の危険を感じ、勝とともに呉へ逃げた。昭関まで来ると、関守が二人を捕らえようとした。伍胥は勝と二人きりで歩いて逃げ、あやうく捕まりかけた。追手はすぐ後ろに迫っていた。長江のほとりに至ると、船を出している一人の漁師がいた。漁師は伍胥の急を察して船に乗せ、対岸へ渡してくれた。渡り終えると伍胥は自分の剣を解いて言った。「この剣は百金の値打ちがある。あなたに差し上げたい」。漁師は言った。「楚の法では、伍胥を捕らえた者には粟五万石と執珪の爵位が与えられる。どうして百金の剣ごときで済もうか」。そう言って受け取らなかった。伍胥は呉に着く前に病にかかり、道中で足を止め、物乞いをして食いつないだ。やがて呉に着いた。当時、呉王僚が政をとり、公子光が将軍であった。伍胥は公子光を頼って呉王への謁見を求めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 伍子胥列伝伍子胥初め与に倶に亡げし所の故の楚の太子建の子の勝は、呉に在り。呉王夫差の時、楚の恵王勝を召して楚に帰さんと欲す。葉公諫めて曰く、「勝は勇を好みて陰かに死士を求む、殆ど私有らんか」と。恵王聴かず。遂に勝を召し、楚の辺邑鄢に居らしめ、号して白公と為す。白公楚に帰りて三年にして呉子胥を誅す。白公勝既に楚に帰り、鄭の其の父を殺せしを怨み、乃ち陰かに死士を養ひて鄭に報いんことを求む。楚に帰りて五年、鄭を伐たんことを請ふ。楚の令尹子西之を許す。兵未だ発せざるに晋鄭を伐ち、鄭救ひを楚に請ふ。楚子西をして往きて救はしめ、盟を与へて還る。白公勝怒りて曰く、「鄭の仇に非ず、乃ち子西なり」と。勝自ら剣を礪ぐ。人問ひて曰く、「何を以て為す」と。勝曰く、「以て子西を殺さんと欲す」と。子西之を聞き、笑ひて曰く、「勝は卵のごときのみ、何ぞ能く為さん」と。
-
史記 楚世家無忌又日夜太子建を王に讒して曰く、「無忌秦の女を入れしより、太子怨み、亦た王に望むこと無き能はず。王少しく自ら備へよ。且つ太子城父に居り、兵を擅にし、外に諸侯と交はり、且に入らんと欲す」と。平王其の傅伍奢を召して之を責む。伍奢無忌の讒を知り、乃ち曰く、「王奈何ぞ小臣を以て骨肉を疎んずる」と。無忌曰く、「今制せずんば、後に悔いん」と。是に於て王遂に伍奢を囚ふ。乃ち司馬奮揚をして太子建を召さしめ、之を誅せんと欲す。太子之を聞き、亡げて宋に奔る。無忌曰く、「伍奢に二子有り。殺さざる者は楚国の患と為らん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。必ず至らん」と。是に於て王使ひをして奢に謂はしむ、「能く二子を致さば則ち生きん。能はずんば将に死せん」と。奢曰く、「尚は至らん。胥は至らず」と。王曰く、「何ぞや」と。奢曰く、「尚の人と為りは、廉にして、節に死し、慈孝にして仁なり。召されて父を免すと聞かば、必ず至りて、其の死を顧みず。胥の人と為りは、智にして謀を好み、勇にして功を矜る。来たらば必ず死するを知る。必ず来たらず。然れども楚国の憂ひと為る者は必ず此の子ならん」と。是に於て王人をして之を召さしめて曰く、「来たれ。吾爾の父を免さん」と。伍尚伍胥に謂ひて曰く、「父免さるると聞きて奔ること莫きは、不孝なり。父戮せられて報ゆること莫きは、無謀なり。能を度りて事に任ずるは、知なり。子其れ行け。我其れ帰りて死せん」と。伍尚遂に帰る。伍胥弓を彎き矢を属け、出でて使者を見て曰く、「父罪有り。何を以て其の子を召すことを為す」と。将に射んとす。使者還り走る。遂に出でて呉に奔る。伍奢之を聞きて曰く、「胥亡ぐ。楚国危ふきかな」と。楚人遂に伍奢及び尚を殺す。十年、楚の太子建の母居巣に在り、呉に開く。呉公子光をして楚を伐たしめ、遂に陳・蔡を敗り、太子建の母を取りて去る。楚恐れ、郢に城く。初め、呉の辺邑卑梁と楚の辺邑鐘離の小童と桑を争ふ。両家交々怒りて相攻め、卑梁の人を滅ぼす。卑梁の大夫怒り、邑の兵を発して鐘離を攻む。楚王之を聞きて怒り、国の兵を発して卑梁を滅ぼす。
-
史記 伍子胥列伝無忌、平王に言ひて曰く、「伍奢に二子有り、皆賢なり、誅せずんば且に楚の憂ひと為らんとす。其の父を質と以て之を召す可し、然らずんば且に楚の患ひと為らんとす」と。王、使ひをして伍奢に謂はしめて曰く、「能く汝の二子を致さば則ち生きん、能はざれば則ち死せん」と。伍奢曰く、「尚の人と為りは仁なり、呼ばば必ず来たらん。員の人と為りは剛戻にして訽を忍び、能く大事を成す。彼、来たらば之れ并せて禽にせらるるを見て、其の勢ひ必ず来たらざらん」と。王聴かず、人をして二子を召さしめて曰く、「来たらば吾汝の父を生かさん、来たらざれば今奢を殺さん」と。伍尚往かんと欲す。員曰く、「楚の我が兄弟を召すは、以て我が父を生かさんと欲するに非ざるなり。脱する者有らば後患ひを生ぜんことを恐れ、故に父を質と為して詐りて二子を召す。二子到れば則ち父子倶に死せん。何ぞ父の死に益せん。往くも讎をして報ずるを得ざらしむるのみ。他国に奔り、力を借りて以て父の恥を雪ぐに如かず、倶に滅ぶるは為す無きなり」と。伍尚曰く、「我往くも終に父の命を全くする能はざるを知る。然れども父我を召し以て生くるを求めて往かずして、後恥を雪ぐ能はず、終に天下の笑ひと為るを恨むのみ」と。員に謂ふ、「去る可し、汝能く父を殺すの讎に報いん、我将に死に帰せん」と。尚既に執らはれに就き、使者、伍胥を捕らふ。伍胥、弓を貫り矢を執りて使者に向かふ。使者敢て進まず、伍胥遂に亡ぐ。太子建の宋に在るを聞き、往きて之に従ふ。奢、子胥の亡ぐるを聞くや、曰く、「楚国の君臣、且に兵に苦しまんとす」と。伍尚楚に至り、楚、并せて奢と尚とを殺す。
-
史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
-
史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。
-
史記 伍子胥列伝無忌既に秦の女を以て自ら平王に媚び、因りて太子を去りて平王に事ふ。一旦平王卒して太子立たば己を殺さんことを恐れ、乃ち因りて太子建を讒す。建の母は蔡の女なり、平王に寵無し。平王稍く益々建を疏んじ、建をして城父を守り辺兵に備へしむ。頃之、無忌又日夜太子の短を王に言ひて曰く、「太子は秦の女の故を以て、怨望無きこと能はず。願はくは王少しく自ら備へよ。太子、城父に居り兵を将ゐし自り、外、諸侯に交はり、且に入りて乱を為さんと欲す」と。平王乃ち其の太傅伍奢を召して之を考問す。伍奢、無忌の太子を平王に讒するを知り、因りて曰く、「王独り奈何ぞ讒賊の小臣を以て骨肉の親を疏んずるか」と。無忌曰く、「王今制せずは、其の事成らん。王且に禽にせられんとす」と。是に於いて平王怒り、伍奢を囚らへ、城父の司馬奮揚をして往きて太子を殺さしむ。行きて未だ至らず、奮揚、人をして先づ太子に告げしむ、「太子急に去れ、然らずんば将に誅せられんとす」と。太子建、亡げて宋に奔る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る