史記 / 伍子胥列伝
無忌言於平王曰、伍奢有二子、皆賢、不誅且為楚憂。可以其父質而召之、不然且為楚患。王使使謂伍奢曰、能致汝二子則生、不能則死。伍奢曰、尚為人仁、呼必來。員為人剛戾忍訽、能成大事、彼見來之并禽、其勢必不來。王不聽、使人召二子曰、來、吾生汝父。不來、今殺奢也。伍尚欲往、員曰、楚之召我兄弟、非欲以生我父也、恐有脫者後生患、故以父為質、詐召二子。二子到、則父子俱死。何益父之死。往而令讎不得報耳。不如奔他國、借力以雪父之恥、俱滅、無為也。伍尚曰、我知往終不能全父命。然恨父召我以求生而不往、後不能雪恥、終為天下笑耳。謂員、可去矣、汝能報殺父之讎、我將歸死。尚既就執、使者捕伍胥。伍胥貫弓執矢向使者、使者不敢進、伍胥遂亡。聞太子建之在宋、往從之。奢聞子胥之亡也、曰、楚國君臣且苦兵矣。伍尚至楚、楚并殺奢與尚也。
新字:無忌言於平王曰、伍奢有二子、皆賢、不誅且為楚憂。可以其父質而召之、不然且為楚患。王使使謂伍奢曰、能致汝二子則生、不能則死。伍奢曰、尚為人仁、呼必来。員為人剛戻忍訽、能成大事、彼見来之并禽、其勢必不来。王不聴、使人召二子曰、来、吾生汝父。不来、今殺奢也。伍尚欲往、員曰、楚之召我兄弟、非欲以生我父也、恐有脱者後生患、故以父為質、詐召二子。二子到、則父子倶死。何益父之死。往而令讎不得報耳。不如奔他国、借力以雪父之恥、倶滅、無為也。伍尚曰、我知往終不能全父命。然恨父召我以求生而不往、後不能雪恥、終為天下笑耳。謂員、可去矣、汝能報殺父之讎、我将帰死。尚既就執、使者捕伍胥。伍胥貫弓執矢向使者、使者不敢進、伍胥遂亡。聞太子建之在宋、往従之。奢聞子胥之亡也、曰、楚国君臣且苦兵矣。伍尚至楚、楚并殺奢与尚也。
書き下し
無忌、平王に言ひて曰く、「伍奢に二子有り、皆賢なり、誅せずんば且に楚の憂ひと為らんとす。其の父を質と以て之を召す可し、然らずんば且に楚の患ひと為らんとす」と。王、使ひをして伍奢に謂はしめて曰く、「能く汝の二子を致さば則ち生きん、能はざれば則ち死せん」と。伍奢曰く、「尚の人と為りは仁なり、呼ばば必ず来たらん。員の人と為りは剛戻にして訽を忍び、能く大事を成す。彼、来たらば之れ并せて禽にせらるるを見て、其の勢ひ必ず来たらざらん」と。王聴かず、人をして二子を召さしめて曰く、「来たらば吾汝の父を生かさん、来たらざれば今奢を殺さん」と。伍尚往かんと欲す。員曰く、「楚の我が兄弟を召すは、以て我が父を生かさんと欲するに非ざるなり。脱する者有らば後患ひを生ぜんことを恐れ、故に父を質と為して詐りて二子を召す。二子到れば則ち父子倶に死せん。何ぞ父の死に益せん。往くも讎をして報ずるを得ざらしむるのみ。他国に奔り、力を借りて以て父の恥を雪ぐに如かず、倶に滅ぶるは為す無きなり」と。伍尚曰く、「我往くも終に父の命を全くする能はざるを知る。然れども父我を召し以て生くるを求めて往かずして、後恥を雪ぐ能はず、終に天下の笑ひと為るを恨むのみ」と。員に謂ふ、「去る可し、汝能く父を殺すの讎に報いん、我将に死に帰せん」と。尚既に執らはれに就き、使者、伍胥を捕らふ。伍胥、弓を貫り矢を執りて使者に向かふ。使者敢て進まず、伍胥遂に亡ぐ。太子建の宋に在るを聞き、往きて之に従ふ。奢、子胥の亡ぐるを聞くや、曰く、「楚国の君臣、且に兵に苦しまんとす」と。伍尚楚に至り、楚、并せて奢と尚とを殺す。
現代語訳
無忌は平王に言った。「伍奢には二人の息子がいて、どちらも有能です。誅殺しなければ楚の憂いとなりましょう。父を人質にして二人を呼び寄せるのがよい。そうしなければ楚の災いとなります」。王は使者に命じて伍奢に告げさせた。「お前の二人の息子を呼び寄せられれば生かしてやる。できなければ死ぬことになる」。伍奢は言った。「尚の人柄は情に厚い。呼べば必ず来るでしょう。だが員の人柄は剛直でひとすじ縄ではいかず、屈辱に耐えて大事を成しとげる男です。あれは、来れば父子ともども捕らわれると見抜くでしょうから、必ず来ますまい」。王は聞き入れず、使者に二人を呼びにやらせて言わせた。「来れば父を生かしてやる。来なければ今すぐ奢を殺す」。伍尚は行こうとした。員は言った。「楚が我々兄弟を呼ぶのは、父を生かそうというのではありません。逃げのびた者がいれば後の禍いになると恐れて、父を人質にし、偽って二人を呼び寄せるのです。二人が着けば父子そろって死ぬだけ。それが父の命に何の助けになりましょう。行けば、仇討ちの道すら断たれてしまう。他国へ逃れ、その力を借りて父の恥をすすぐほうがよい。共に滅ぶのは何にもなりません」。伍尚は言った。「行っても結局、父の命を救えないことは私にもわかっている。だが、父が生きたいと願って私を呼んでいるのに行かず、後になって恥もすすげず、天下の笑いものになるのが口惜しいのだ」。そして員に言った。「お前は逃げよ。お前なら父を殺した仇に報いることができる。私は死地へ帰ろう」。伍尚が捕縛されると、使者は伍胥をも捕らえようとした。伍胥は弓を引きしぼり矢をつがえて使者に向き合った。使者は進み出ることができず、伍胥はついに逃げおおせた。太子建が宋にいると聞き、そこへ行って身を寄せた。伍奢は子胥が逃げたと聞いて言った。「楚の君臣は、これから戦に苦しむことになろう」。伍尚が楚に着くと、楚は伍奢と伍尚をともに殺した。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十年 我能く死し、爾能く報いよ召されて來らずんば、是れ再び奸すなり。逃るるも入る所無し」と。王曰く、「歸れ。政に從ふこと他日の如くせよ」と。無極曰く、「奢の子は材あり。若し吳に在らば、必ず楚國を憂へしめん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。彼仁なれば必ず來らん。然らずんば將に患ひと為らん」と。王をして之を召さしめて曰く、「來れ。吾而(なんぢ)の父を免さん」と。棠君尚其の弟員に謂ひて曰く、「爾は吳に適け。我は將に歸りて死せんとす。吾が知は逮ばず。我能く死し、爾能く報いよ。父を免すの命を聞きて、以て之に奔ること莫かる可からず。親戚戮せらるるに、以て之に報ゆること莫かる可からず。死に奔りて父を免るるは、孝なり。功を度りて行ふは、仁なり。任を擇びて往くは、知なり。死を知りて辟けざるは、勇なり。父は棄つ可からず、名は廢す可からず。爾其れ之を勉めよ。相從ふを愈れりと為す」と。伍尚歸る。奢員の來らざるを聞きて曰く、「楚の君・大夫、其れ旰食せんか」と。楚人皆之を殺す。員吳に如き、楚を伐つの利を州于に言ふ。公子光曰く、「是れ宗戮せられて、其の讎に反(かへ)さんと欲するなり。從ふ可からず」と。員曰く、「彼將に他志有らんとす。余姑く之が為に士を求めて、鄙にて以て之を待たん」と。乃ち鱄設諸を見えしめて、鄙に耕す。
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史記 楚世家無忌又日夜太子建を王に讒して曰く、「無忌秦の女を入れしより、太子怨み、亦た王に望むこと無き能はず。王少しく自ら備へよ。且つ太子城父に居り、兵を擅にし、外に諸侯と交はり、且に入らんと欲す」と。平王其の傅伍奢を召して之を責む。伍奢無忌の讒を知り、乃ち曰く、「王奈何ぞ小臣を以て骨肉を疎んずる」と。無忌曰く、「今制せずんば、後に悔いん」と。是に於て王遂に伍奢を囚ふ。乃ち司馬奮揚をして太子建を召さしめ、之を誅せんと欲す。太子之を聞き、亡げて宋に奔る。無忌曰く、「伍奢に二子有り。殺さざる者は楚国の患と為らん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。必ず至らん」と。是に於て王使ひをして奢に謂はしむ、「能く二子を致さば則ち生きん。能はずんば将に死せん」と。奢曰く、「尚は至らん。胥は至らず」と。王曰く、「何ぞや」と。奢曰く、「尚の人と為りは、廉にして、節に死し、慈孝にして仁なり。召されて父を免すと聞かば、必ず至りて、其の死を顧みず。胥の人と為りは、智にして謀を好み、勇にして功を矜る。来たらば必ず死するを知る。必ず来たらず。然れども楚国の憂ひと為る者は必ず此の子ならん」と。是に於て王人をして之を召さしめて曰く、「来たれ。吾爾の父を免さん」と。伍尚伍胥に謂ひて曰く、「父免さるると聞きて奔ること莫きは、不孝なり。父戮せられて報ゆること莫きは、無謀なり。能を度りて事に任ずるは、知なり。子其れ行け。我其れ帰りて死せん」と。伍尚遂に帰る。伍胥弓を彎き矢を属け、出でて使者を見て曰く、「父罪有り。何を以て其の子を召すことを為す」と。将に射んとす。使者還り走る。遂に出でて呉に奔る。伍奢之を聞きて曰く、「胥亡ぐ。楚国危ふきかな」と。楚人遂に伍奢及び尚を殺す。十年、楚の太子建の母居巣に在り、呉に開く。呉公子光をして楚を伐たしめ、遂に陳・蔡を敗り、太子建の母を取りて去る。楚恐れ、郢に城く。初め、呉の辺邑卑梁と楚の辺邑鐘離の小童と桑を争ふ。両家交々怒りて相攻め、卑梁の人を滅ぼす。卑梁の大夫怒り、邑の兵を発して鐘離を攻む。楚王之を聞きて怒り、国の兵を発して卑梁を滅ぼす。
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史記 伍子胥列伝始め伍員、申包胥と交はりを為す。員の亡ぐるや、包胥に謂ひて曰く、「我必ず楚を覆さん」と。包胥曰く、「我必ず之を存せん」と。呉兵郢に入るに及び、伍子胥昭王を求む。既に得ず、乃ち楚の平王の墓を掘き、其の尸を出だし、之を鞭つこと三百、然る後已む。申包胥山中に亡げ、人をして子胥に謂はしめて曰く、「子の讎を報ずる、其れ以て甚だしきかな。吾之を聞く、人衆き者は天に勝つも、天定まりて亦た能く人を破る、と。今子は故と平王の臣なり、親しく北面して之に事ふるに、今死人を僇するに至る。此れ豈に其れ天道無きの極みか」と。伍子胥曰く、「我が為に申包胥に謝して曰へ、吾日莫れて途遠し、吾故に倒行して之を逆施せり、と」。是に於いて申包胥秦に走りて急を告げ、救ひを秦に求む。秦許さず。包胥秦の廷に立ちて、昼夜哭し、七日七夜其の声を絶たず。秦の哀公之を憐みて曰く、「楚無道なりと雖も、臣の是の若き有り、存する無かる可けんや」と。乃ち車五百乗を遣して楚を救ひ呉を撃たしむ。六月、呉兵を稷に敗る。会々呉王久しく楚に留まりて昭王を求め、而して闔廬の弟夫概乃ち亡げ帰り、自立して王と為る。闔廬之を聞き、乃ち楚を釈てて帰り、其の弟夫概を撃つ。夫概敗走し、遂に楚に奔る。楚の昭王呉に内乱有るを見、乃ち復た郢に入る。夫概を堂谿に封じ、堂谿氏と為す。楚復た呉と戦ひ、呉を敗り、呉王乃ち帰る。
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史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
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史記 伍子胥列伝伍胥既に宋に至る。宋に華氏の乱有り、乃ち太子建と倶に鄭に奔る。鄭人甚だ之に善くす。太子建又晋に適く。晋の頃公曰く、「太子既に鄭に善く、鄭太子を信ず。太子能く我が為に内応し、我其の外を攻めば、鄭を滅ぼすこと必せり。鄭を滅ぼして太子を封ぜん」と。太子乃ち鄭に還る。事未だ会せざるに、会々自ら私かに其の従者を殺さんと欲す。従者其の謀を知り、乃ち之を鄭に告ぐ。鄭の定公、子産と、太子建を誅殺す。建に子有り、名は勝。伍胥懼れ、乃ち勝と倶に呉に奔る。昭関に到り、昭関之を執らへんと欲す。伍胥遂に勝と独身歩走し、幾んど脱するを得ざらんとす。追ふ者後に在り。江に至る。江上に一漁父の船に乗る有り、伍胥の急を知り、乃ち伍胥を渡す。伍胥既に渡り、其の剣を解きて曰く、「此の剣は直百金なり、以て父に与へん」と。父曰く、「楚国の法、伍胥を得る者は粟五万石を賜ひ、爵執珪あり、豈に徒だに百金の剣のみならんや」と。受けず。伍胥未だ呉に至らずして疾み、中道に止まり、食を乞ふ。呉に至る。呉王僚方に事を用ゐ、公子光将為り。伍胥乃ち公子光に因りて以て呉王に見ゆるを求む。
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『新序』善謀第九楚の平王伍子胥の父を殺す。子胥出亡し、弓を挾みて闔閭に干む。之を大とすること甚だし。勇にして是を爲すとし、而して師を興して楚を伐たんと欲す。子胥諫めて曰く、不可なり。臣之を聞く、君子は匹夫の爲に師を興さず、と。且つ君に事うるは猶お父に事うるがごときなり。君の義を虧きて、父の讎に復ゆるは、臣爲さざるなり、と。是に於いて止む。蔡の昭公楚に朝す。美裘有り。楚の令尹囊瓦之を求む。昭公予えず。是に於いて昭公を郢に拘す。數年にして后に之を歸す。昭公漢水を濟り、璧を沈めて曰く、諸侯に楚を伐つ者有らば、寡人請う前列と爲らん、と。楚人之を聞きて怒り、是に於いて師を興して蔡を伐つ。蔡救いを吳に請う。子胥諫めて曰く、蔡は罪有るに非ざるなり。楚人無道なるなり。君若し中國を憂うるの心有らば、則ち此の時の若きは可なり、と。是に於いて師を興して楚を伐ち、遂に楚人を栢舉に敗りて覇道を成す。子胥の謀なり。故に春秋美として之を襃む。
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