史記 / 老子韓非列伝
凡說之難、非吾知之有以說之難也、又非吾辯之難能明吾意之難也、又非吾敢橫失能盡之難也。凡說之難、在知所說之心、可以吾說當之。
新字:凡説之難、非吾知之有以説之難也、又非吾弁之難能明吾意之難也、又非吾敢横失能尽之難也。凡説之難、在知所説之心、可以吾説当之。
書き下し
凡そ説の難きは、吾が知の以て説くことの難きに有るに非ざるなり。又吾が弁の吾が意を明らかにする能はざるの難きに非ざるなり。又吾が敢て横失して尽くす能はざるの難きに非ざるなり。凡そ説の難きは、説く所の心を知り、以て吾が説を之に当つ可きに在り。
現代語訳
およそ人を説得することの難しさは、私に知識が足りなくて説けない難しさではない。また私の弁舌が自分の意図をうまく表現できない難しさでもない。さらに私が思い切って自由に語り尽くせない難しさでもない。説得することの本当の難しさは、説得しようとする相手の心を正しく読み取り、それに自分の主張をぴたりと合わせられるかどうかにある。
解説
説得の本質は「自分が何を言うか」ではなく「相手の心をどう読むか」にあるという、コミュニケーションの核心を突いた一段です。多くの人は、説得がうまくいかないのは自分の知識不足や話術の下手さのせいだと考えます。しかし韓非は、それは本質ではないと断言します。本当の鍵は、相手が何を求め、何を恐れ、何を大切にしているのかを見抜き、そこに自分の主張を合わせられるかどうか。どれほど正しく、雄弁に語っても、相手の関心とずれていれば響きません。営業でも、社内提案でも、交渉でも、まず必要なのは自分の主張を磨くことではなく、相手を深く理解することです。「正論を言えば伝わる」という思い込みを捨て、相手起点で語る――二千年以上前に書かれたこの洞察は、現代のあらゆる説得・提案の出発点であり続けています。
この章句が説くこと
説得の本質相手の心を読む傾聴相手起点コミュニケーション提案力
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『韓非子』說難第十二凡そ說の難きは、吾が知の以て之を說く有るの難きに非ざるなり。又た吾が辯の能く吾が意を明らかにするの難きに非ざるなり。又た吾が敢へて横失して能く盡くすの難きに非ざるなり。凡そ說の難きは、說く所の心を知り、吾が說を以て之に當つ可きに在り。說く所名高を爲すに出づる者なるに、之を說くに厚利を以てすれば、則ち節を下して卑賤に遇せらると見られ、必ず弃(す)て遠ざけらる。說く所厚利に出づる者なるに、之を說くに名高を以てすれば、則ち心無くして事情に遠しと見られ、必ず收められず。
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