史記 / 老子韓非列伝
韓非者、韓之諸公子也。喜刑名法術之學、而其歸本於黃老。非為人口吃、不能道說、而善著書。與李斯俱事荀卿、斯自以為不如非。
新字:韓非者、韓之諸公子也。喜刑名法術之学、而其帰本於黄老。非為人口吃、不能道説、而善著書。与李斯倶事荀卿、斯自以為不如非。
書き下し
韓非は、韓の諸公子なり。刑名法術の学を喜むも、其れ黄老に帰本す。非の人と為りは、口吃にして道説する能はず、而して善く書を著す。李斯と倶に荀卿に事ふ。斯、自ら以て非に如かずと為す。
現代語訳
韓非は韓の公子(公族の一人)である。刑名・法術の学問を好んだが、その根本は黄老(道家)に帰着した。韓非は生まれつき吃音で、口で説くのは苦手だったが、文章を書くのは非常に得意だった。李斯とともに荀子に学んだが、李斯は自分では韓非にかなわないと認めていた。
解説
誰にでも弱点はあり、それをどう補い、強みで勝負するかを示す一段です。韓非は思想家・弁論家であるべき立場にありながら、致命的とも思える吃音を抱え、口頭で人を説得することができませんでした。しかし彼は、話す代わりに「書く」という自分の最大の強みを徹底的に磨き、あの李斯すら「かなわない」と認めるほどの著述を遺しました。弱みを嘆いて立ち止まるのではなく、別の土俵で圧倒的な強みを築く。人にはそれぞれ不得手があり、すべてを平均的に克服する必要はありません。自分の弱点を正しく認識したうえで、勝負できる強みに資源を集中する――この「強みへの集中」こそ、限られた自分を最大限に活かす戦略です。皮肉にも、その最強の武器であった「書」が、後に彼の運命を大きく動かすことになります。
この章句が説くこと
弱みと強み強みへの集中韓非吃音自己認識書く力
関連する章句
-
『韓非子』觀行第二十四古の人、目は自ら見るに短なり、故に鏡を以て面を觀、智は自ら知るに短なり、故に道を以て己を正す。
-
老子・第33章人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。其の所を失わざる者は久し、死して而も亡びざる者は寿し。
-
『韓非子』老第二十一知の難きは、人を見るに在らず、自ら見るに在り。故に曰く、「自ら見るを之れ明と謂う。」
-
葉隠・聞書第二少し眼(め)見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々(なおなお)自慢になるものなり。実(じつ)に我が長け、我が非を知る事成り難(がた)きものの由。海音和尚(かいおんおしょう)御話(おはなし)なり。
-
論語・里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
-
説苑・君道韓の武子田す。獣已に聚まり、田車已に合う。伝来りて告げて曰く、「晋公薨ず」と。武子欒懐子に謂いて曰く、「子も亦た君の田猟を好むを知る。獣已に聚まり、田車已に合う。吾以て猟を卒えて後に弔うべきか」と。懐子対えて曰く、「范氏の亡ぶるや、輔多くして拂少なし。今臣君に於けるや、輔なり。畾君に於けるや、拂なり。君胡ぞ畾に問わざるや」と。武子曰く、「盈にして我を拂かんと欲するか、而れども我を拂けり、何ぞ必ずしも畾ならんや」と。遂に田を輟む。