史記 / 老子韓非列伝
世之學老子者則絀儒學、儒學亦絀老子。道不同不相為謀、豈謂是邪。李耳無為自化、清靜自正。
新字:世之学老子者則絀儒学、儒学亦絀老子。道不同不相為謀、豈謂是邪。李耳無為自化、清静自正。
書き下し
世の老子を学ぶ者は則ち儒学を絀け、儒学も亦た老子を絀く。「道同じからざれば相ひ為に謀らず」とは、豈に是を謂ふか。李耳は無為にして自ら化し、清静にして自ら正す。
現代語訳
世の中で老子を学ぶ者は儒学を退け、儒学を学ぶ者もまた老子を退ける。孔子の言う「進む道が違う者どうしは、たがいに事を相談し合わない」とは、まさにこのことを言うのではないか。老子(李耳)の教えは、無為(作為を加えず)自然にまかせておのずと感化し、心静かに保つことでおのずと正される、というものだった。
解説
思想や立場の違いが、しばしば互いの全否定に陥る――という人間集団の宿命的な対立構造を突いた一段です。老子派は儒学を、儒学派は老子を、互いに排斥し合った。しかし司馬遷は、どちらかが正しいと裁定するのではなく、『道不同不相為謀』――進む道が違えば相談し合わないだけのこと、と冷静に距離を置きます。組織にも、部門間・世代間・方針の違いによる対立は必ず起きます。そのとき、相手を全否定して排斥するのではなく、「立脚点が違うだけだ」と捉え直せるか。老子の「無為自化・清静自正」――強引に押しつけず、環境を整えて自然に人が動き正されるのを待つマネジメントは、トップダウンで統制する儒家的手法とは対極ですが、どちらも一つの有効な組織観です。異なる流儀を、優劣ではなく多様性として扱う視点が問われます。
この章句が説くこと
思想対立道不同不相為謀無為自化多様性統制と自律立場の違い
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