史記 / 老子韓非列伝
老子修道德、其學以自隱無名為務。居周久之、見周之衰、乃遂去。至關、關令尹喜曰、子將隱矣、彊為我著書。於是老子乃著書上下篇、言道德之意五千餘言而去、莫知其所終。
新字:老子修道徳、其學以自隠無名為務。居周久之、見周之衰、乃遂去。至関、関令尹喜曰、子将隠矣、彊為我著書。於是老子乃著書上下篇、言道徳之意五千余言而去、莫知其所終。
書き下し
老子、道徳を修む。其の学は自ら隠れて名無きを以て務めと為す。周に居ること之を久しくして、周の衰ふるを見、乃ち遂に去る。関に至り、関令の尹喜曰く、「子将に隠れんとす。彊めて我が為に書を著せ」と。是に於いて老子乃ち書上下篇を著し、道徳の意を言ふこと五千余言にして去る。其の終ふる所を知る莫し。
現代語訳
老子は道と徳を修め、その学問は「自ら身を隠し、名を求めない」ことを旨としていた。長らく周に仕えたが、周の衰えを見て、ついに立ち去った。国境の関所まで来ると、関守の尹喜が言った。「あなたはこれから世を離れて隠れようとしておられる。どうか私のために書物を著してください」。そこで老子は上下二篇の書物を著し、道と徳の意味を五千あまりの言葉で説いて去った。その後、どこで生涯を終えたのか、誰も知らない。
解説
『老子(道徳経)』という不朽の古典が、いかにして遺されたかを語る一段です。注目すべきは、老子自身は「名を残すこと」を全く求めていなかった点です。彼の学問は自己を隠すことを旨とし、去り際に関守にせがまれて、いわば頼まれて初めて書き残した。名声を追わなかった人物の言葉が、二千年以上残った――ここに逆説があります。自分を売り込むことに必死な言葉より、真に価値ある内容は、たとえ本人が去っても、周囲が「残してくれ」と請う形で後世に受け継がれる。組織や個人にとっても、名を売ることそのものを目的にするのではなく、まず中身を磨くこと。本物であれば、それを惜しんで残そうとする人が現れる、という示唆です。