三略 / 下略
夫人之在道,若魚之在水,得水而生,失水而死,故君子常懼而不敢失道。
書き下し
夫れ人の道に在るは、魚の水に在るが若し、水を得て生き、水を失ひて死す、故に君子は常に懼れて敢へて道を失はず。
現代語訳
人が道の中にいるのは、魚が水の中にいるようなものである。水を得れば生き、水を失えば死ぬ。だから君子は常に恐れ慎んで、あえて道を失うことがない。
解説
短いながら、道というものの位置づけを鮮やかに示した段です。人にとって道とは、魚にとっての水である。水の中にいる魚は水を意識しませんが、水を失えばたちまち死ぬ。同じように、人は道の中にいるとき、その存在をほとんど意識しません。しかし道を失えば生きていけない。だからこそ君子は常に恐れ慎んで、道から外れることのないよう自分を保つのです。ここでの恐れは臆病さではなく、失うことの重さを知っている者の緊張感を指します。経営でも、日々の判断を支えている土台は、うまくいっているときほど意識されません。誠実さや顧客への向き合い方といった当たり前が、いつのまにか痩せていく。しかもそれは失われた瞬間には気づかず、後になって効いてきます。順調なときこそ、自分たちが何の中で生きているのかを確かめる。それが恐れ慎むということです。
この章句が説くこと
道と人魚と水恐れ慎む原則の堅持
関連する章句
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三略・上略故に曰く、強を貪らざるは莫きも、能く微を守るは鮮し。若し能く微を守らば、乃ち其の生を保たん。聖人は之を存して、以て事機に応ず。之を舒ぶれば四海に弥り、之を巻けば杯に盈たず。之に居るに室宅を以てせず、之を守るに城郭を以てせず。之を胸臆に蔵して、敵国服す。
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三略・下略夫れ能く天下の危を扶くる者は、則ち天下の安に拠る。能く天下の憂を除く者は、則ち天下の楽を享く。能く天下の禍を救ふ者は、則ち天下の福を獲。故に沢の民に及べば、則ち賢人之に帰す。沢の昆虫に及べば、則ち聖人之に帰す。賢人の帰する所は、則ち其の国強し。聖人の帰する所は、則ち六合同じ。賢を求むるに徳を以てし、聖を致すに道を以てす。賢去れば則ち国微に、聖去れば則ち国乖く。微は危の階なり、乖は亡の徴なり。
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三略・下略夫れ聖人君子は、盛衰の源を明らかにし、成敗の端に通じ、治乱の機を審らかにし、去就の節を知る。
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文子・上德山に猛獣有れば、林木之が為に斬られず、園に螫虫有れば、葵藿之が為に採られず、国に賢臣有れば、衝を折くこと千里なり。道に通ずる者は、車の轂中に転ずるが若し、己に運らさずして、之と与に千里に致り、終わりて復た始まり、転ずること無窮の原なり。故に枉を挙げて直に与えるは、何如ぞ得ざらん、直を挙げて枉に与うれば、与に遂げ往く勿れ。鳥の将に来らんとする有れば、羅を張りて之を待つ、鳥を得る者は羅の一目なり。今一目の羅を為らば、則ち鳥を得る時無し。故に事は或いは前に規す可からず、物は或いは預め慮る可からず。故に聖人は道を畜えて時を待つ。故に魚を致さんと欲する者は先に谷を通じ、鳥を来さんと欲する者は先に木を樹う。水積もれば魚聚まり、木茂れば鳥集まる。魚の為に得る者は、挈げて淵に入るるに非ず、猿の為に得る者は、負いて木に上らしむるに非ず、其の利する所に縦すのみ。足の践む所は浅く、然れども践まざる所を待ちて後に能く行く。心の知る所は遍く、然れども知らざる所を待ちて後に能く明らかなり。川竭きて谷虚しく、丘夷らぎて淵塞がり、唇亡びて歯寒く、河水深くして壌は山に在り。水静かなれば則ち清く、清ければ則ち平らかに、平らかなれば則ち易く、易ければ則ち物の形を見る。形は併す可からず、故に以て正と為す可し。
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三略・下略窮すと雖も亡国の位に処らず、貧しと雖も乱邦の禄を食まず。名を潜め道を抱く者は、時至りて動けば、則ち人臣の位を極む。徳己に合すれば、則ち殊絶の功を建つ。故に其の道高くして名は後世に揚がる。
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三略・上略夫れ国を為むるの道は、賢と民とを恃む。賢を信ずること腹心の如く、民を使うこと四肢の如くならば、則ち策に遺ちる無し。適く所は肢体の相い随い、骨節の相い救うが如し。天道自然にして、其の巧みなること間無し。
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