三略 / 下略
廢一善則眾善衰,賞一惡則眾惡掃。善者得其佑,惡者受其誅,則國安而眾善至。眾疑無定國,眾惑無治民,疑定惑還,國乃可安。一令逆則百令失,一惡失則百惡結。故善施于順民,惡加于凶,則令行而無怨。
新字:廃一善則衆善衰,賞一悪則衆悪掃。善者得其佑,悪者受其誅,則国安而衆善至。衆疑無定国,衆惑無治民,疑定惑還,国乃可安。一令逆則百令失,一悪失則百悪結。故善施于順民,悪加于凶,則令行而無怨。
書き下し
一善を廃すれば則ち衆善衰へ、一悪を賞すれば則ち衆悪掃ふ。善なる者は其の佑を得、悪なる者は其の誅を受くれば、則ち国安くして衆善至る。衆疑へば定まれる国無く、衆惑へば治まれる民無し。疑ひ定まり惑ひ還れば、国乃ち安んずべし。一令逆らへば則ち百令失はれ、一悪失はるれば則ち百悪結ぶ。故に善は順民に施し、悪は凶に加ふれば、則ち令行はれて怨み無し。
現代語訳
一つの善を捨て置けば、多くの善は衰える。一つの悪に賞を与えれば、多くの悪が寄り集まる。善なる者が助けを得、悪なる者が罰を受けるならば、国は安らかになり多くの善が集まってくる。人々が疑えば安定した国はなく、人々が惑えば治まった民はいない。疑いが晴れ惑いが去れば、国は安んずることができる。一つの命令が背かれれば百の命令が失われ、一つの悪を見逃せば百の悪が結びつく。だから善は従順な民に施し、罰は凶悪な者に加えれば、命令は行き渡って怨みは生じない。
解説
賞罰のたった一件が、組織全体の空気を決めてしまうと説く段です。善い行いを一つ見過ごせば、他の善も萎れていく。悪い行いを一つでも賞すれば、悪はそこに群がってくる。命令もまた同じで、一つの命令が破られたまま放置されれば、他の百の命令まで効力を失う。例外を一件だけ認める、という判断が、実は制度そのものを空洞化させるという厳しい指摘です。そして人々が疑い惑っている状態では、国は決して安定しないとも述べます。経営でも、成果を上げた人が報われず、規律を破った人がお咎めなしで通ってしまえば、社員はすぐにそれを見抜きます。そこから先、どんな立派な方針を掲げても届きません。賞罰の一貫性は、正義感の問題である以前に、組織の実行力を維持するための実務です。小さな例外こそ、最も高くつくのです。
この章句が説くこと
賞罰の一貫性例外の弊害規律命令の実効
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