三略 / 下略
舍己而教人者逆,正己而化人者順。逆者亂之招,順者治之要。道、德、仁、義、禮五者,一體也。道者人之所蹈,德者人之所得,仁者人之所親,義者人之所宜,禮者人之所體,不可無一焉。故夙興夜寐,禮之制也。討賊報讎,義之決也。惻隱之心,仁之發也。得己,得人,德之路也。使人均平,不失其所,道之化也。
新字:舎己而教人者逆,正己而化人者順。逆者乱之招,順者治之要。道、徳、仁、義、礼五者,一体也。道者人之所蹈,徳者人之所得,仁者人之所親,義者人之所宜,礼者人之所体,不可無一焉。故夙興夜寐,礼之制也。討賊報讎,義之決也。惻隠之心,仁之発也。得己,得人,徳之路也。使人均平,不失其所,道之化也。
書き下し
己を舎きて人を教ふる者は逆、己を正して人を化する者は順なり。逆は乱の招く所、順は治の要なり。道、徳、仁、義、礼の五つの者は、一体なり。道は人の蹈む所、徳は人の得る所、仁は人の親しむ所、義は人の宜しき所、礼は人の体する所にして、一も無かるべからず。故に夙に興き夜に寐ぬるは、礼の制なり。賊を討ち讎に報ゆるは、義の決なり。惻隠の心は、仁の発なり。己を得、人を得るは、徳の路なり。人をして均平ならしめ、其の所を失はざらしむるは、道の化なり。
現代語訳
自分を棚に上げて人を教えようとするのは、道理に逆らうことである。自分を正すことによって人を感化するのが、道理にかなうことである。逆らうことは乱れを招き、順うことは治まりの要である。道、徳、仁、義、礼の五つは一つの体である。道とは人が踏み行うところ、徳とは人が身に得るところ、仁とは人が親しむところ、義とは人がなすべきところ、礼とは人が体現するところであり、どれ一つ欠けてはならない。早く起き遅く寝て務めるのは礼の定めである。賊を討ち仇に報いるのは義の決断である。人を哀れむ心は仁の現れである。自分を得て人を得るのは徳の道である。人々を公平にし、それぞれの居場所を失わせないのは道の働きである。
解説
人を導く者の出発点は、自分自身を正すことにあると説く段です。自分を棚に上げて人に説教するのは道理に逆らう行いであり、乱れの元になる。逆に自らを正すことで人が自然に変わっていくのが、治まりの要だといいます。そのうえで、道・徳・仁・義・礼の五つは切り離せない一体だと示し、それぞれが日々の行いのどこに現れるかを具体的に述べます。哀れむ心は仁の現れであり、公平を保って人の居場所を失わせないのは道の働きである、というように、抽象的な徳目が振る舞いに引き戻されているのが特徴です。経営者にとって、これは耳の痛い基本です。理念を掲げても、掲げた本人が守っていなければ、社員は言葉ではなく背中を見て判断します。組織を変えたいと願うとき、最初に変わるべきは、変えたいと願っている自分自身なのです。
この章句が説くこと
率先垂範道徳仁義礼自己修養リーダーの背中
関連する章句
-
尚書・君牙爾が身克く正しければ、敢えて正しからざる罔し。
-
論語・衛霊公篇子曰わく、身をもって厚くし、人を責むること薄ければ、すなわち怨み遠し。
-
史記 孫子呉起列伝起の将為るや、士卒の最下の者と衣食を同じくす。臥するに席を設けず、行くに騎乗せず、親ら贏糧を裹ひ、士卒と労苦を分かつ。卒に疽を病む者有り、起、為に之を吮ふ。卒の母、聞きて之に哭す。人曰く、「子は卒なり、而るに将軍自ら其の疽を吮ふ、何ぞ哭するを為す」と。母曰く、「然るに非ざるなり。往年、呉公、其の父を吮ひ、其の父、戦ひて踵を旋さず、遂に敵に死す。呉公今又其の子を吮ふ。妾、其の死所を知らず。是を以て之を哭す」と。
-
論語・里仁篇子曰く、「我未だ仁を好む者と、不仁を悪む者とを見ざるなり。仁を好む者は、以て之に尚(くわ)うる無し。不仁を悪む者は、其れ仁を為すや、不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日其の力を仁に用うること有らんか。我未だ力足らざる者を見ざるなり。蓋し之有らん、我未だ之を見ざるなり。」
-
十七条憲法 第八条群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早(つと)に朝(まい)りて晏(おそ)く退(しりぞ)け。公事(くじ)盬(しお)きこと靡(な)く、終日(ひねもす)にも尽(つ)くし難(がた)し。是(ここ)を以(もっ)て遅(おそ)く朝(まい)れば急(きゅう)に逮(およ)ばず、早く退(しりぞ)けば必(かなら)ずその功(こう)を尽(つ)くさず。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「身、道を行わざれば、妻子にも行われず。人を使うに道を以 てせざれば、妻子にも行わるること能わず。」