三略 / 上略
軍讖曰:香餌之下,必有死魚。重賞之下,必有勇夫。故禮者,士之所歸,賞者,士之所死,招其所歸,示其所死,則所求者至。故禮而後悔者,士不止,賞而後悔者,士不使。禮賞不倦,則士爭死。
新字:軍讖曰:香餌之下,必有死魚。重賞之下,必有勇夫。故礼者,士之所帰,賞者,士之所死,招其所帰,示其所死,則所求者至。故礼而後悔者,士不止,賞而後悔者,士不使。礼賞不倦,則士争死。
書き下し
軍讖に曰く、香餌の下には、必ず死魚有り。重賞の下には、必ず勇夫有り、と。故に礼は士の帰する所、賞は士の死する所なり。其の帰する所を招き、其の死する所を示せば、則ち求むる所の者至る。故に礼して後に悔ゆれば、士は止まらず。賞して後に悔ゆれば、士は使われず。礼賞倦まざれば、則ち士は争いて死す。
現代語訳
軍讖にこうある。香ばしい餌の下には、必ず食いついて死ぬ魚がいる。厚い賞のもとには、必ず勇士が現れる、と。だから礼は人材が身を寄せる先であり、賞は人材が命を懸ける先である。人が身を寄せたくなるもので招き、人が命を懸けるものを示せば、求めている人材は自ずとやって来る。しかし礼を尽くしておきながら後で惜しむようでは、人材は留まらない。賞を与えておきながら後で悔やむようでは、人材は使えない。礼と賞を惜しみなく与え続ければ、人はこぞって命を懸けるようになる。
解説
香餌の下に必ず死魚あり、重賞の下に必ず勇夫あり。人を動かすものの正体を、身も蓋もなく言い当てた有名な一節です。ただし三略はここで賞だけを説いてはいません。礼は人が身を寄せる先、賞は人が命を懸ける先だと、二つを対にして語ります。敬意が人を集め、報酬が人を本気にさせるのです。そして最も重要なのが後半、与えたあとに惜しむなという戒めです。礼を尽くしておいて後から後悔する、賞を出しておいて後から渋る。この態度が人材を最も冷めさせます。現代の組織でも、昇進させたのに権限を与えない、賞与を出したのに嫌味を言う、抜擢したのに口を出し続ける。こうした後出しの出し惜しみは、与えた分の効果をすべて打ち消してしまいます。出すと決めたら、気持ちよく、惜しみなく。この一貫性こそが、人が競って力を尽くす組織をつくります。
この章句が説くこと
重賞礼出し惜しみの戒め動機づけ
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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