三略 / 上略
軍讖曰:柔能制剛,弱能制強。柔者,德也。剛者,賊也。弱者,人之所助。強者,怨之所攻。柔有所設,剛有所施,弱有所用,強有所加,兼此四者,而制其宜。
新字:軍讖曰:柔能制剛,弱能制強。柔者,徳也。剛者,賊也。弱者,人之所助。強者,怨之所攻。柔有所設,剛有所施,弱有所用,強有所加,兼此四者,而制其宜。
書き下し
軍讖に曰く、柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す、と。柔は徳なり。剛は賊なり。弱は人の助くる所、強は怨の攻むる所なり。柔に設くる所有り、剛に施す所有り、弱に用うる所有り、強に加うる所有り。此の四者を兼ねて、其の宜しきを制す。
現代語訳
軍讖にはこうある。柔らかさはよく硬さを制し、弱さはよく強さを制する、と。柔らかさとは徳である。硬さとは人を損なうものである。弱い者は人が助けてくれるが、強い者は人の怨みが向かってくる。柔をはたらかせるべき場面があり、剛を用いるべき場面があり、弱を活かすべき場面があり、強を加えるべき場面がある。この四つをすべて備えたうえで、状況に応じて適切に使い分けるのである。
解説
「柔よく剛を制す」という有名な言葉の出典がこの一段です。軍讖とは古くから伝わる兵法の格言集を指し、三略はしばしばこれを引用して自説を展開します。ここで注意したいのは、三略が柔弱をただ礼賛しているわけではない点です。柔は徳として人を惹きつけ、弱い立場は周囲の助力を呼び込む一方、剛や強にもそれを用いるべき局面がある。大切なのは四つすべてを手札として持ち、状況に応じて使い分ける柔軟さだ、と説きます。現代のリーダーシップに引きつければ、これは硬軟の使い分けそのものです。普段は傾聴と共感で人を動かし、譲れない一線や不正に対しては断固たる態度を取る。柔らかいだけでは規律が緩み、強硬一辺倒では人が離れ、怨みを買います。自分の得意な型に固執せず、相手と場面に応じて振る舞いを選べること。それが真に強いリーダーの条件だと、この段は教えています。
この章句が説くこと
柔よく剛を制す軍讖硬軟の使い分け徳
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