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菜根譚 / 後集

山居胸次清洒,觸物皆有佳思。見孤雲野鶴,而起超絶之想,遇石澗流泉,而動澡雪之思。撫老檜寒梅,而勁節挺立,侶沙鷗麋鹿,而機心頓忘。若一走入塵寰,無論物不相關,即此身亦屬贅旒夷。

新字:山居胸次清洒,触物皆有佳思。見孤雲野鶴,而起超絶之想,遇石澗流泉,而動澡雪之思。撫老檜寒梅,而勁節挺立,侶沙鷗麋鹿,而機心頓忘。若一走入塵寰,無論物不相関,即此身亦属贅旒夷。

書き下し

山居すれば胸次は清洒なり。物に触れて皆な佳思有り。孤雲野鶴を見て、超絶の想を起こし、石澗流泉に遇いて、澡雪の思いを動かす。老檜寒梅を撫して、勁節挺立し、沙鷗麋鹿を侶として、機心頓に忘る。若し一たび塵寰に走り入らば、物の相い関せざるを論ずる無く、即ち此の身も亦た贅旒(ぜいりゅう)に属せん。

現代語訳

山に住めば、胸のうちは清らかで洒脱である。物に触れるたびに、みな佳き思いがある。孤独な雲や野の鶴を見て、超え出る想いを起こし、石の谷川や流れる泉に出会って、雪で洗うような思いを動かす。老いた檜や寒中の梅を撫でて、強い節操が立ち、砂の鷗や大鹿を伴として、はかりごとの心を忘れる。もしひとたび俗世に走り込めば、物が関わらないことは言うまでもなく、この身すらも余計な飾りとなる。

解説

山に住めば、触れるものすべてが教えになる。俗世に戻れば、身体すら余計な飾りになる。極端な対比です。しかし言いたいのは、環境の力。何に囲まれているかが、何を思うかを決めるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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