菜根譚 / 後集
心無其心,何有於觀。釋氏曰:觀心者,重增其障。物本一物,何待於齊。莊生曰:齊物者,自剖其同。
新字:心無其心,何有於観。釈氏曰:観心者,重增其障。物本一物,何待於斉。荘生曰:斉物者,自剖其同。
書き下し
心に其の心無くんば、何ぞ観るに有らんや。釈氏曰く、「心を観る者は、重ねて其の障を増す」と。物は本と一物なり。何ぞ斉うるを待たんや。荘生曰く、「物を斉うる者は、自ら其の同を剖(さ)く」と。
現代語訳
心にその心がなければ、何を観ることがあろう。仏教では「心を観る者は、かえってその障りを増す」と言う。物はもともと一つの物である。どうして斉えるのを待とう。荘子は「物を斉える者は、自らその同一性を切り裂く」と言う。
解説
私たちは、自分の心や物事を理解しようと努めるあまり、かえって複雑にしてしまうことがあります。例えば、自分の心を深く観察しようとすればするほど、新たな悩みや障壁を生み出してしまうことがあります。また、本来は一つである物事を無理に分類したり、平等にしようとしたりすると、かえってその本質的な繋がりを断ち切ってしまうことにもなりかねません。時には、無理に手を加えたり、分析しようとしたりせず、あるがままの状態を受け入れることが、最も自然で調和の取れた状態へと導く道となるでしょう。
この章句が説くこと
観心者重増其障斉物者自剖其同
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