菜根譚 / 後集
性天澄徹,即饑喰渴飲,無非康濟身心。心地沈迷,縱譚談禪演偈,縂是播弄精魂。
新字:性天澄徹,即饑喰渇飲,無非康済身心。心地沈迷,縦譚談禅演偈,縂是播弄精魂。
書き下し
性天澄徹ならば、即ち饑えて喰らい渇して飲むも、身心を康済せざる無し。心地沈迷せば、縦い禅を譚じ偈を演ずるも、総て是れ精魂を播弄す。
現代語訳
本性が澄み切っていれば、飢えて食べ渇いて飲むことも、身と心を健やかにしないことがない。心の地が沈み迷えば、たとえ禅を語り偈を説いても、すべて魂を弄んでいるだけである。
解説
心が澄み切っていれば、日々の食事や水分補給といったごく当たり前の行為でさえ、心身を健やかに保つ大切な時間となります。しかし、心が迷いや不安で曇っていると、どんなに高尚な教えを学んだり語ったりしても、それはただの知識のひけらかしや、自分自身を欺く行為になってしまいかねません。何をするかよりも、どのような心の状態でその行為に臨むかが、結果の質を大きく左右するのです。
この章句が説くこと
性天澄徹即饑喰渇飲無非康済身心心地沈迷縦譚禅演偈総是播弄精魂
関連する章句
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