菜根譚 / 後集
飽諳世味,一任覆雨翻雲,縂慵開眼。會盡人情,隨教呼牛喚馬,只是點頭。
新字:飽諳世味,一任覆雨翻雲,縂慵開眼。会尽人情,随教呼牛喚馬,只是点頭。
書き下し
世味を飽諳(ほうあん)せば、一に覆雨翻雲に任せて、総て眼を開くに慵(ものう)し。人情を会し尽くさば、随(したが)って牛と呼び馬と喚ぶに教(まか)せて、只だ是れ頭を点ずるのみ。
現代語訳
世の味を知り尽くせば、雨が覆り雲が翻るのに任せて、目を開くのも億劫になる。人情を悟り尽くせば、牛と呼ばれ馬と呼ばれるのに任せて、ただ頷くだけである。
解説
世の中の移り変わりや人間関係の複雑さを深く理解し尽くすと、いちいち感情的に反応することが億劫になります。まるで雨が降ったり雲が流れたりするのをただ眺めるように、他人の評価や言動に対しても、ただ静かに頷くだけになるでしょう。これは無関心なのではなく、物事の本質を見極め、反応する価値のないことにはエネルギーを使わないという、心の余裕と成熟の表れです。反論しないことが、かえって大きな器を示すのです。
この章句が説くこと
飽諳世味一任覆雨翻雲総慵開眼随教呼牛喚馬只是点頭人間関係
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