菜根譚 / 後集
晴空朗月,何天不可翺翔,而飛蛾獨投夜燭。清泉綠卉,何物不可飲啄,而鴟鴞偏嗜腐鼠。噫,世之不為飛蛾鴟鴞,幾何人哉。
新字:晴空朗月,何天不可翺翔,而飛蛾独投夜燭。清泉緑卉,何物不可飲啄,而鴟鴞偏嗜腐鼠。噫,世之不為飛蛾鴟鴞,幾何人哉。
書き下し
晴空朗月、何れの天か翺翔すべからざらん。而して飛蛾は独り夜燭に投ず。清泉緑卉、何れの物か飲啄すべからざらん。而して鴟鴞(しきょう)は偏えに腐鼠を嗜む。噫、世の飛蛾鴟鴞と為らざる者、幾何の人ぞや。
現代語訳
晴れた空に明るい月。どの天でも飛び回れないことがあろうか。それなのに蛾だけが、夜の灯に飛び込む。清らかな泉に緑の草。どの物でも飲み食いできないことがあろうか。それなのに梟だけが、腐った鼠を好む。ああ、世に蛾や梟にならない者が、どれほどいるだろうか。
解説
私たちは、時に無数の選択肢があるにもかかわらず、自ら苦しい道を選んでしまうことがあります。まるで、広い空があるのに夜の灯に飛び込む蛾や、清らかな泉があるのに腐ったものを好む梟のように。この一節は、自分の視野が狭まっていないか、本当に必要なものを見失っていないかを問いかけます。目の前の誘惑や慣習にとらわれず、本質的な価値やより良い選択肢に目を向けることの重要性を教えてくれます。
この章句が説くこと
飛蛾独投夜燭鴟鴞偏嗜腐鼠世之不為飛蛾鴟鴞幾何人哉
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