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菜根譚 / 後集

峨冠大帶帶之士,一旦睹輕蓑小笠飄飄然逸也,未必不動其咨嗟。長筵廣席之豪,一旦遇疏簾淨几悠悠焉靜也,未必不增其綣戀。人奈何驅以火牛,誘以風馬,而不思自適其性哉。

新字:峨冠大帯帯之士,一旦睹輕蓑小笠飄飄然逸也,未必不動其咨嗟。長筵広席之豪,一旦遇疏簾浄几悠悠焉静也,未必不增其綣戀。人奈何駆以火牛,誘以風馬,而不思自適其性哉。

書き下し

峨冠大帯の士も、一旦、軽蓑小笠の飄飄然として逸なるを睹(み)れば、未だ必ずしも其の咨嗟を動かさずんばあらず。長筵広席の豪も、一旦、疎簾浄几の悠悠焉として静かなるに遇わば、未だ必ずしも其の綣戀(けんれん)を増さずんばあらず。人は奈何ぞ駆るに火牛を以てし、誘うに風馬を以てして、自ら其の性に適するを思わざるや。

現代語訳

立派な冠と帯の士も、ひとたび軽い蓑と小さな笠が風に飄々として自在なのを見れば、嘆息を漏らさずにいられない。長い筵と広い席の豪族も、ひとたび疎らな簾と清らかな机が悠々として静かなのに出会えば、恋しさを増さずにいられない。人はなぜ、火をつけた牛で駆り立て、風に狂った馬で誘われるようにして、自ら本性に適うことを思わないのか。

解説

立派な人ほど、質素な自在さに憧れる。豪族ほど、静かな暮らしを恋しがる。分かっているのに、駆り立てられて走り続ける。「なぜ、自ら本性に適うことを思わないのか」。望んでいる方向と、走っている方向が、逆なのです。

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