菜根譚 / 後集
世人只緣認得我字太真。故多種種嗜好,種種煩惱。前人云:不復知有我,安知物為貴。又云:知身不是我,煩惱更何侵。真破的之言也。
新字:世人只縁認得我字太真。故多種種嗜好,種種煩悩。前人云:不復知有我,安知物為貴。又云:知身不是我,煩悩更何侵。真破的之言也。
書き下し
世人は只だ我の字を認得すること太(はなは)だ真なるに縁る。故に種種の嗜好、種種の煩悩多し。前人云う、「復た我有るを知らずんば、安くんぞ物の貴と為るを知らん」と。又た云う、「身は是れ我に非ずと知らば、煩悩は更に何ぞ侵さん」と。真に破的の言なり。
現代語訳
世の人は、ただ「我」の字を本当だと思い込みすぎている。だから、さまざまな嗜好、さまざまな煩悩が多い。昔の人は「もはや我があると知らなければ、どうして物が貴いと知ろうか」と言った。また「身は我ではないと知れば、煩悩がどうして侵そうか」と言った。まことに的を射た言葉である。
解説
私たちの苦しみや煩悩の多くは、「自分」という存在をあまりにも強く意識し、執着することから生まれます。自分を確固たるものと信じ、守ろうとし、満たそうとするからこそ、様々な欲求や悩みが尽きません。しかし、「この身体は本当の自分ではない」と考えることで、自分への執着が和らぎ、煩悩の根源が揺らぎます。自分を客観視する視点を持つことが、心の平穏への道となるでしょう。
この章句が説くこと
世人只縁認得我字太真故多種種嗜好種種煩悩知身不是我煩悩更何侵克己
関連する章句
-
菜根譚・後集寂を喜び喧を厭う者は、往往にして人を避けて以て静を求む。知らず、意、人無きに在らば便ち我相を成し、心、静に着かば便ち是れ動根なるを。如何ぞ人我一視、動静両忘の境界に到り得ん。
-
菜根譚・後集人情世態は、倏忽(しゅくこつ)万端なり。認め得ること太だ真なるに宜しからず。堯夫云う、「昔日、我と云いし所は、而今、却って是れ伊なり。知らず、今日の我も又た後来の誰にか属せん」と。人常に是の観を作さば、便ち胸中の罥(けん)を解却すべし。
-
菜根譚・後集物欲に覊鎖(きさ)せらるれば、吾が生の哀しむべきを覚ゆ。性真に夷猶すれば、吾が生の楽しむべきを覚ゆ。其の哀しむべきを知らば、則ち塵情立ちどころに破れ、其の楽しむべきを知らば、則ち聖境自ら臻(いた)る。
-
菜根譚・前集幻迹を以て言えば、功名富貴を論ずる無く、即ち肢体も亦た委形に属す。真境を以て言えば、父母兄弟を論ずる無く、即ち万物も皆な吾が一体なり。人能く看得破り、認得真ならば、纔めて以て天下の負担に任ずべく、亦た世間の韁鎖を脱すべし。
-
菜根譚・後集真空は空ならず。相を執るは真に非ず。相を破るも亦た真に非ず。問う、世尊は如何に発付せんと。世に在りて世を出づ。欲に徇うは是れ苦、欲を絶つも亦た是れ苦なり。聴(まか)せよ、吾が儕(ともがら)よ、善く自ら修持せよ。
-
菜根譚・前集功業を誇逞し、文章を炫耀するは、皆な是れ外物に靠(よ)りて人と做(な)るなり。知らず、心体は瑩然として、本来失せず。即ち寸功隻字無きも、亦た自ら堂堂正正、人と做る処有るを。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る