菜根譚 / 後集
有浮雲富貴之風。而不必岩棲穴處。無膏肓泉石之癖。而常自醉酒耽詩。競逐聽人,而不謙盡醉。括淡適己,而不誇獨醒。此釋氏所謂,不為法纏,不為空纏,身心兩自在者。
新字:有浮雲富貴之風。而不必岩棲穴処。無膏肓泉石之癖。而常自酔酒耽詩。競逐聴人,而不謙尽酔。括淡適己,而不誇独醒。此釈氏所謂,不為法纏,不為空纏,身心両自在者。
書き下し
浮雲富貴の風有り。而して必ずしも岩棲穴処せず。膏肓泉石の癖無し。而して常に自ら醉酒耽詩す。競逐は人に聴(まか)せて、謙尽を醉わず。恬淡は己に適して、独醒を誇らず。此れ釈氏の所謂る、法に纏われず、空に纏われず、身心両つながら自在なる者なり。
現代語訳
富貴を浮雲と見る風格がある。しかし必ずしも岩窟に隠れ住まない。山水に耽る病もない。しかし常に自ら酒に酔い詩に耽る。競い争うのは人に任せて、へりくだり尽くすこともない。淡々として自分に適い、独り醒めていることを誇らない。これが仏教でいう、法にも縛られず、空にも縛られず、身も心も自在である者だ。
解説
富や名誉を追い求めることもなく、かといって世を捨てて隠遁することもない。自然を愛するが、それに溺れることもない。人との競争には関わらないが、必要以上にへりくだることもない。自分は冷静だと誇示することもない。これは、どちらかの極端に偏ることなく、あらゆる束縛から自由な心で生きる姿です。何にも囚われず、自分らしく、心穏やかに生きることこそが、真の自由な境地と言えるでしょう。
この章句が説くこと
有浮雲富貴之風而不必岩棲穴処不為法纏不為空纏身心両自在者
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